一斑を見て全豹を卜す(いっぱんをみてぜんぴょうをぼくす) ということわざがあります。
これは「人や事象の一部を知っただけであたかもその物事の全てを知ったかのように話すことなど」を意味します。
しかしながらこれは話し手だけでなく受け手にも当てはまることでありまして更にこれは人間が負の感情に囚われる原因にもなります。
他者から見て「こんなボンクラな人間はいない」と思われるような場合でも当の本人はそう思ってはいないものです。
「自分は誠実な人間である」
「自分は頑張っている」
「自分は努力している」
「自分には他を想いやる愛がある」
当人はそのように考え、それを信じて疑わず、自分がボンクラなどと言われる覚えはなく、これっぽっちもそのようには考えていないものです。
そのためそれを他者から指摘された時、猛烈に怒り、自分の至らなさを指摘する者に対し強く反発しその怒りと恨みの念を向けます。
これを第三者から客観的に見た時、どう見てもその者は至らずやはりそのボンクラさは否定できない、にも関わらずなぜ当の本人はその自覚がないのでしょうか。
この原因には「一斑を見て全豹を卜す」つまり"一部を持ってそれを全体としていること"に起因するように思います。
人はどのような至らない人間であっても良い一面はあるものです。
しかしながら
それはそれ、これはこれ。
1%、2%良い面があり善行を行っているからと言って残りの99%、98%も良しとはなりません。
人は自分の都合の良いように解釈し、少しの善行をもって残りの都合の悪い面全体を覆い隠します。
そしてそれに対する自覚もありません。
このため自身では「自分は悪くない」と真剣に考え疑うこともなく、そのためにそれを指摘する他者への反発心と怒りは激しさを増します。
そこから負の念が渦巻き、周りをも巻き込み負の無限連鎖が始まります。
「一部を持って全体としてしまうこと」
これは見る側も、そして見られる側も
自分自身も、そして相手側も
双方いずれにも起こり得ます。
自覚の無さからくる間違った信念により反発心と怒りは瞬間的に発生し、感情により増幅され、思考(理性)をいとも簡単に突破し、秒速で人の心を支配し情動となり言動や実行動に至ります。
更に他者を巻き込むことにより負の無限連鎖は強化され広がりは加速します。
「一部を持って全体としてしまうこと」
「無自覚」
この世においてこれらに起因する負の連鎖と広がりの発生源は枚挙にいとまがありません。
環境を変えるだけで人は良い方に向かうというのは明らかに間違った考えであり、同時に個々の心のあり方に手を入れなければむしろそれは逆に作用し、人は退化、堕落に向かうことも多いと私は考えています。
人としてその人生を生き、人間を体感すればそれで分かったつもりになる。
それこそが "一斑を見て全豹を卜す" であり、大きな勘違いではないでしょうか。
無明(無知)から生じるものについての重大さ、その破壊力、影響を及ぼす範囲とその乗数での広がり方と拡散速度、それらについて考える必要性を思わされずにはいられません。
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