この週末に脳機能学者、苫米地英人氏の書籍を読んでおりました。その著書の中で、とある会社経営者に関する銀行との付き合い方についての失敗談について話されており、その内容は「たしかに。。」と大変納得させられるものでありました。

 

話の内容は以下のとおりです。

 

知り合いの起業家が開業資金にと銀行からお金を借り、その会社はうまく軌道に乗り大きな収益を上げました。

 

そしてその起業家は収益を上げたことにより、銀行から借りたお金をきれいさっぱり銀行に返してしまったというのです。

 

その後会社は業績好調で更に事業を拡大していきましたが、その事業拡大により一時的に運転資金が足らなくなったのです。

 

この社長は、以前きれいに借金を返し会社の業績も上がっているので会社の信頼も上がっているだろうと、そしてまた以前のように銀行は直ぐにお金を貸してくれるだろうと考え再度同じ銀行を訪ねました。ところがこの会社は銀行に融資を断られてしまったのです。

 

なぜ銀行は融資を断ったのでしょうか。

 

そもそも銀行はお金を貸し出してその対価として金利を受け取り商売をしています。それなのに業績が良くなった途端にお金を返してしまってはある意味「もうおたくの銀行とは取引しない」と会社側から銀行に対して言っているに等しいわけです。

 

そう、この社長は現代の会社経営における銀行との付き合い方を知らなかったのです。

 

社長は「そんなバカな、業績が上がって借金を繰り上げ返済したら次に借りる時の評価が上がると思っていたのに。。」と言っていたそうですが、それは逆で、「業績が上がった時こそ事業拡大のための資金を更に追加で借りる」という銀行との付き合い方を理解していなかったわけです。

 

もちろん、この社長の考えは一般的な道義としては正しい考えなのですが、現代の資本主義経済という金融の仕組みの中では正しくなかったのです。

 

念のため書きますが借りたものを返すことは正しいことです。そうあるべきであり、そしてそれは道義的にも正しく信用を得ることにつながります。債務超過に陥るような返せる見込みがないお金を借りることは論外でありますが、返す能力がある会社が借り続け銀行に利子を支払い続けることは銀行にとって利益に繋がりそれが彼らの商売なのです。

 

返せる資産(担保)があり帳簿上のプラスマイナスのバランスシートが保たれているなら問題はなく、「返済することは出来るが資金をあえて借りておいて金利を支払い、銀行に儲けさせながら銀行との付き合いを続けておく、」ということをこの社長は出来なかったのです。

 

 

今回の話は資本主義経済という金融の仕組みの中での道理においての話となります。

 

金融機関との付き合い方にも個々の金融機関や担当者によってそれぞれ違いがあります。

 

それらトラブルは勉強不足や経験不足から来る無知により画一的な凝り固まった概念や自己本位な考えによりその場その場での善悪に対する状況判断が出来ないことにより起こります。

 

この社長は人としては正しく、道義的にも正しく、しかしながら現世の資本主義経済という金融の仕組みの中では正しくない判断をし経営危機に陥ってしまいました。

 

勿論ながら会社があり有り余るほどの莫大な自己資本を持っているなら銀行から借り入れをする必要もなく無借金経営をすれば良いのですが、そうでない会社ならこの種の問題はある程度当てはまるように思います。

 

ちなみに申し上げるまでもなく、融資判断基準は各金融機関や融資担当者により異なりますからそれらを見抜き交渉する力量も必要になります。

 

 

現場には現場の道理があり、更にそれは絶えず変化します。また逆に変わらない普遍の道理もあり、それらは混在しています。

 

相手の立場や現場の道理を分かろうとせず一方的な価値判断基準や自己本位な考えを他者やに対して押し付けることの危うさについて私たちは考えていく必要があるのではないかと日々思わされます。

 

 

 

 

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