以前も同じ話を書かせて頂いたことがありますが、小学高学年のときに同級生が縄のようなものをムチ代わりにして私に向かって激しく何度も何度も打ち続けてきました。
そのようなことをされる覚えはなく、やめるように何度も話しましたが一向にやめる気配はなく、このままではこちらはたまったものではないと
そう思い我が身の危険を感じた私はその同級生を殴り飛ばしました。
彼の左目はパンダのように青紫に腫れ上がり学校側は大騒ぎ、担任の先生は相手の両親の対応に追われやがて我が家の両親にも連絡がありました。
「相手の親御さんはかなりご立腹ですが担任の私が間に入りなんとか収めますからご両親にはこのようなことが学校であったことだけお伝えしておきます」
担任の先生はそのように私の両親に伝え電話を切りました。
その時、私は子供なりに思ったのです。
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「なぜ相手の両親はこちらが一方的に悪いとし怒るのか」
「むしろこちらに謝罪しなければならないのは向こう側ではないか」
「確かに相手を傷つけた私は悪かったが、それでは、何度も何度も話してもやめない相手にそのまま肉体に鞭打たれ痛めつけられても我慢してヤラれ続けろとでも言うのだろうか」
「顔を殴るのが駄目で、ボディに一発程度にしておけば良かったとでも言うのだろうか」
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当時の私は子供なりに理不尽な思いを抱いたものです。
その後私は担任の先生に呼び出され再度事情を説明することになります。
そして先生はこのように言います。
「事情は分かりました」
「ですがこれだけは知っておきなさい」
「あなたには野球などで鍛えられた身体能力というものがあります」
「その力の使い方によってどれだけの影響を及ぼすかということ、そして自分自身の力というものがどれだけのものか、この機会にそれを知っておきなさい」
そのように言われ、それ以上責められることはありませんでした。
そしてその後、その同級生の仲間の一人である力自慢の者が復讐に現れ、しばらくは私につきまといその者とのまた新たな戦いが始まるわけです。
成人し社会に出ると力対力の殴り合いの対決はなくなりましたが、形を変えた戦いは続きます。
少し油断をすれば足元をすくわれ責任をなすりつけられたり濡れ衣を着せられたり逆恨みされたり。
それに対しては頭脳(知恵と論理)で立ち向かい先回りなどして立ち回るしかありません。
それでもお金や権力の下ではそれさえ力任せにねじ伏せられる世界でもあります。
この俗世には失礼ながら獣と変わらないと思われるような人間もおり、時には吠え、威嚇し、脅すことで相手はその恐怖心から遠ざかるというような対話不可能な野蛮な人間もいるように見受けます。
こちら側から攻撃することはありませんが、攻撃された場合にこちらが何もせずにいるとあっという間に喰い殺されてしまいます。
大人社会では暴力ではなく金銭に絡むような利己的な行為などですが、ズルく小利口な人間にはあっという間に責任転嫁され、罪をなすりつけられ、相手にとって都合の良いように事を運ばれてしまいます。
私たち現代の日本人は争いを避ける傾向にあるように思いますが、主張すべきことは主張しなければ相手も分からないまま、自分が正しいとし勘違いしたまま怒りや憎しみの感情を向けてきます。
主張すればしたでお互いが分かり合えることばかりではなくむしろ逆でそこから憎しみと争いが生まれることも多いです。
こちらから戦いを仕掛けることはないが相手の理不尽な要求や利己的な行為で全体に迷惑をかける行為などに対して「寄らば斬る」というこちら側の姿勢は間違いなのか。
もし間違いと言うならどうすればよいのか。
相手に対する立ち向かい方にも様々あると思います。
相手を持ち上げて"いなし"ながら操り、怒りを他方にそらしたり鎮めたりしながらこちらのペースに持ち込む方法
またはアメとムチで相手の逃げ場を作りながら相手のプライド(自尊心)を傷つけないように保ちながら対処する方法
また相手次第では動物的に相手を威嚇し恐怖で押さえつける方法
経験上それらは相手次第、その方法は様々あるように思います。
この世にはまだまだ心ある人格の高い方々がいらっしゃると思いますが、同時に失礼ながら獣人と呼ぶにふさわしい人間もいるように思います。
心ある方々がそのような心なき存在に喰われ犠牲になることがないように我が身を守る事が出来るよう願わずにいられません。
そもそもそのような環境に身を置かなければ良いのかもしれませんが、望んでそうなる者もおらずそのような環境も私たちが通らなければならない学びのひとつなのかもしれません。
子供の世界も大人の世界もネットの世界でも陰湿で卑劣なイジメはあとを絶ちません。
周りでそれらから守る側にも限界があり本人にその意志がなければ守りきれないことは多いです。
我が身の守り方は様々、
「寄らば斬る」のその斬り方も、例えば「理を持って制する」など手法もまた様々。
これらの問題はすべて人の心に起因するものでもあると思いますが、現代特有の社会現象と照らし合わせながら引き続き考えていきたいと思います。
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