これまでプライベートで主体性を持って積極的に近づいて来られた方々のことを思い出しながら考えていました。

 

 

私の持つお金に近づいてきた人

 

私の持つ情報が欲しくて近づいてきた人

 

私が持つ技術を利用したくて近づいてきた人

 

単に私と趣味が合うから仲間意識で一緒に楽しみたいとして近づいてきた人

 

 

その理由は様々に思います。

 

 

私個人的には自分から相手に近づくことは滅多になく、むしろ私は自分には近づいてきて欲しくないと思うことの方が多い人間です。

 

 

私が自覚している範囲では私自身浮世離れした考えを持ち、この俗世での普通の感性では「つまらない」とされるようなことばかり考えていますから多くの相手との話も合うはずもなく、もし私と気が合う方がいらっしゃればおそらくその方も世間一般的には変わり者とされる方となるのかもしれません。

 

 

私の持つお金に近づいてきた人は私にお金がなくなれば連絡が途絶えました。

 

私の持つ情報が欲しくて近づいてきた人は私から得る情報は何もないと知れば連絡が途絶えました。

 

私が持つ専門技術を利用したくて近づいてきた人は私に利用価値がないとなれば連絡が途絶えました。

 

 

私なりのこれまでの経験と逆境や失敗から学んだ知恵などを人に分け与えさせて頂き、逆に他者から様々なことを学ばせていただくなどそのような関係性を築ければとも思いますがなかなか難しいものです。

 

 

私たち多くの人間は今が楽しければそれで良いと今を満たそうとする傾向があるように思います。

 

勿論、今に集中し今に生きることは大切だと思いますからそれ自体は私も否定をしませんが、楽しいことを考え、美味しいものを食べ、時間が来たら仕事をし時間が来たら帰り、そして何事も深く考えずボーッとそんな年月を過ごしていく、そんな人生にどのような意味があるのでしょうか。

 

最近では「人生に意味などない」という教えが広がったりしていますが。本当にそうなのでしょうか。

 

 

冒頭に書かせて頂きましたように人と人の関わりも自分にとって利益があるかないかの損得勘定で成り立つものばかり。

 

自分にとって得になるかどうかでその人間に近づき、自分の利益にならなければすぐに離れていく。

 

会社の仕事上の関わりでしたら分かりますが、プライベートでさえそんな関係ばかりです。

 

もちろん自分から主体性を持って動き感性や価値観の合う方々とつながる努力をすればよいのでしょうが、個人的にはそんな方々には書物の中でしか出会うことは出来ていません。

 

損得勘定のないその人の素の姿、互いにその人間性そのものに惹かれ合い成り立つ人間関係が広がることを願うばかりです。

 

 

 

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