✳︎本ブログではこれまで「だ・である調」で書かせて頂いてきましたが今回より「です・ます調」で書かせて頂きます。



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私たちの世界に存在する概念を共通項でまとめていくと一つの概念に行き着きます。


インコ、文鳥は「鳥」という共通項


鳥と犬は「動物」という共通項


動物と人間、植物や鉱物は「地球」という共通項


地球と火星や金星は「太陽系」という共通項


太陽系から天の川銀河、アンドロメダ銀河は「宇宙」という共通項で包括されます。

 

行き着くところは宇宙、ワンネス、空(くう)という一つの概念になるわけです。



一方でその頂点と反対の対極にあるのが「矛盾」となり、矛盾とは共通項でまとめることが出来ないものを指します。


例えば、インコとサバを「鳥」という共通項にすると矛盾が生じます。


イワシとニワトリを「魚」という共通項にするとそこに矛盾が生じます。



つまり宇宙、ワンネス、空(くう)という一つの共通概念から離れれば離れるほど矛盾が生じることになります。


「我」が増えれば増えるほど一つの共通概念から離れ矛盾を生み出すことになるわけです。



宇宙のすべての生命の共存共栄のため

地球のため

国のため

種族のため

一族のため

家族のため

私のため



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このように底辺に下がれば下がるほど「我」の数が増えていき共通概念から遠ざかります。


そこに矛盾が生じ偽善が顔を出します。



貴方のため🟰自己利益のみで他者利益に繋がらず(矛盾)


地球環境のため🟰一部の団体のみの利益で逆に地球を汚し破壊する(矛盾)



具体例を挙げますと


「環境破壊を防ぐために太陽系パネルを設置し自然エネルギーにより発電する。そのために森林を伐採してハゲ山にパネルを設置する。」


環境破壊を防ぐ🟰森林伐採(矛盾)


このように偽善には必ず矛盾が生じます。


そして相手の話す内容だけではその偽善を見抜けない場合があります。


その時は年月を空けて同じ質問をしてみることです。


その人が以前と同じ回答をするでしょうか。


以前言ったことと違うことを言わないでしょうか。


そこに矛盾はないでしょうか。



更に言動と実際の行動が異なることがあればそれは紛れもない矛盾です。


しかしながら仮に言動と行動が一致したとしてもそれだけでは不十分です。


言動と行動にはその背景に「動機」があります。


親しみから挨拶をする人もいれば、憎い上司から我が身を守るために憎しみを持って笑顔で挨拶をする人もいます。


言動と行動と動機には目に見えない矛盾が生じます。


母の無償の愛が欲しくて母の望む通りのことをしようとする子もいれば、母から我が身を守るために自分でも気づかない母への憎しみから母の望む通りのことをして母に迎合する子もいます。


同じ言動や行動でもその動機は異なります。



私たち人間はその矛盾に当人が気づかずそれを善と信じ行使し過ごしています。


そのためにその矛盾を他者から指摘された時「そうではない!」と激怒し反発をします。



偽善者はなぜそのしっぽを隠せないのか。


それは宇宙の真理の対極にある矛盾は隠し通すことが出来ないからだと私は考えています。


相手の言動や行動に矛盾はないか。


仮に矛盾がないとしてその動機は。


偽善には矛盾という影が絶えずついて周り、その影は闇に通じる入り口と考えてもそれはあながち間違いではないのかもしれません




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