数学には「定数」と「変数」という概念がある。

 

5x=10

例えばこの等式の場合5は定数でありx(エックス)は変数となる。

つまり定数5(かける)変数x=値10となる。

定数も変数もどちらも一定の数値を取る値であるが定数は値を変更できないのに対し変数は値が変化する。


定数=値を変更できない

変数=値が変化する



仮にこの定数を「宿命」又は個性とし変数を「努力」として置き換えた場合下記の等式が出来上がる。

宿命(定数)×努力(変数)=未来/成長(値)


5x=10の場合、変数x(エックス)に相当するのが努力となり、その数値が増えれば成長の度合いも大きくなり逆に少なくなれば成長は鈍化する。


定数を宿命や個性とした場合、それは例えば生まれた国、人種、性別、気質など生まれ持ったもので変えることが出来ない定めとなる。

しかしながら変数の場合はそれとは異なり、変数とは代わりうるものであり学びや努力の量にその上限はない。


定数が一定であり変わらないものであっても、変数が正しい学びや正しい努力である限りその結果導き出される値(未来や成長)はその変数の量によって変化する。

5x(エックス)=10

この場合の変数x(エックス)を努力とした場合のその変数(努力)の値は2である。

5X(かける)2(変数x)=10

しかしながらその努力を4にするとその値は2倍の20となる。

5X(かける)4(変数x)=20

 

宿命(定数)X努力(変数)=未来/成長(値)


ここで注目したいのがこの宿命や個性(定数)なのだが、それは生まれ持っての性質であり変えることは出来ない。

同じ努力をしたからといって成長の値が同じになるとは限らず、それぞれ個々によりその元となる定数が異なる。

またその努力の種類や方向性もそれぞれ異なる。これもまたそれぞれ生まれ持った定数が違うからだ。


定数=値を変更できない

変数=値を変化させることが出来る


しかしながら私たち人間は往々にして変数ではなく「定数」を変えようとしてしまう。

人には生まれ持っての性質があり、出来ることと出来ないこと、向き不向きがある。それぞれ適正というものがある。


私たちは変えることが出来ない定数を変えようとするのではなくその定数を活かしながら変数を変えることにより導き出される値を変えなければならないのではないだろうか。


5x=10の「5」は定数でありそれはその人間の器でもあるから変えられない。変えるのは変数であるx(エックス)なのだ。

変数x(エックス)を6にすれば値は30になり、8にすれば値は40となる。定数ではなく変数を変えることによりその結果は変わる。


にも関わらず私たちは変数を変えるという努力を怠り、変えられない定数を変えようとしてしまう。

 

または定数を受け入れることが出来ず、ないものねだりをし卑屈になる。

 

 

宿命(定数)X努力(変数)=未来/成長(値)

5x=10

 

定数「5」はいくら願っても「5」でしかない。定数が4である人もいれば3の人もいる。更に同じ数字でもその定数(器)の性質は異なる。

 

定数が低ければそれ相応の努力が必要となり、それだけでなく更に全ての人間がその定数の種類に合わせた正しい努力をする必要がある。にも関わらず努力をせずに結果だけ求める者も多い。

 

また会社などでは画一的な社員教育がなされることが多く、変数ではなく定数を変えようとして無理な者に無理なことを求め個性を潰してしまい上司と部下の間に不満を生み出し社員教育が上手く行かないことが多い。

 

魚料理をする時には煮るか、焼くか、調味料をどうするかを考えるがそれでも魚は魚である。逆立ちをしても魚という素材(定数)は鶏肉には変化しない。魚に合った方法(変数)で手を入れていく。しかも何もしなければその素材は腐っていく。

 

 

定数である宿命や個性を受け入れ、認め、尊重し、個々それぞれに合った正しい努力という取り組みの変数により成長を果たし未来を創るという等式。

 

これは私たちの日常において多くのことに共通することだと私は思う。

 

 

ちなみに数学の概念においてはこの変数 x(エックス)とはイコール未知数を意味する。

 

 

 

 

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