この世で他者に支配されないためには経済的自立を果たすなどして他者に依存をしないことが必要になる。

 

お金に依存している限り会社に依存しなければならず、夫に依存しなければならず、お金に依存している限り経済的自由を奪われ現代に生きる私たちはその身柄を拘束される。

 

会社に縛られるというのは誰でも分かるが、身内である家族に支配されるなどという表現は人聞きの悪い表現であるが、世間の現実を知る者ならその実情や意味するところは分かると思う。

 

 

ならば収入が少なくても成り立つ、お金に頼らなくてもよい生活に切り替えれば良いではないかということになるが、現代ではなかなかそうはいかない。

 

 

水を飲みたくても昔のような井戸水はなく。

 

田畑を耕す肥沃な土壌も身近には無くなってしまった。

 

以前にも何度も書いたように、実から種を取り、植える自家栽培も、種子法廃止や種苗法の規制により最近では「農家の自家増殖原則禁止」の動きになりつつある。これらは「毎年お金を支払って種を買え」という国の政策によるものである。

 

 

教育にもお金がかかり、更に寒い冬の時期も昔の時代のように薪を燃やして温めることなども出来ない。

 

更に現代人にとって必要不可欠なスマホを維持するにも家族4人で毎月2万円も3万円も必要になる。本体端末を分割払いしているなら5万円ほどはかかるだろう。そして生きるために必要な食品においてもその価格は為替変動による円安の影響でこの一年で約1.5倍の価格になった。

 

 

一方では私たちサラリーマンの給与は年々下がり続け、それにも関わらず給与から天引きで差し引かれる税金や社会保険、健康保険などの金額はこの20年で2倍に上がり、手取り給与も大幅に少なくなり続け、ネット上でも人々の悲鳴が聞こえてくる。

 

現代では子供二人と妻など、家族を養っていくのはそう簡単なことではなくなってきた。

 

確かに昔に比べれば贅沢な恵まれた時代であるが、物がない時代の貧しさと物で溢れた時代の貧しさは、同じ貧しさでもそれらは根本的にその環境が異なるように思う。

 

 

世の中を見れば国民の税金で私腹を肥やし悠々自適な生活を送る人種もいる。

 

X(旧ツイッター)などのSNSを見れば朝から晩まで遊び歩き食べ歩きで物質的に何不自由なく過ごしているような方々の様子が見られ、そんな人たちの中には仏門に身を置かれる方々も見受けられる。見る限り彼らは在家などという一般レベルにさえ遠く及ばず、もはや僧侶なのか単なる道楽人なのかさえ区別がつかない方々も散見される。

 

お金、お金、と私たち現代に生きる人間は日々の生活の中で愛やら徳などを考える余裕などなくなってしまいがちであり、少しでも気を抜くと小利口でずる賢い者たちの餌食になったり経済的束縛の下で隷属を強いられたりしてしまう。

 

 

現世の日常は味方の顔をした敵だらけであり、味方の顔をした人間ほど恐ろしい者はない。味方のふりをしながら平気で後ろから刺してくるようなこともあるのだから。

 

 

よく言われることではあるが、動物の世界では羊は羊、狼は狼として登場する。しかしながらイソップ童話にあるように人間の世界だけは狼が羊の皮を被り登場する。

 

そのような中で要領よく立ち回ることが出来る人間は多くない。清廉潔白で誠実に生きていても相手を見て生きなければあっという間に私たちは子羊と化し狼に喰われてしまう。

 

 

学びの場とはいえ、私から見ればこの世はまるで化かし合い、騙し合いのサバイバルゲームの戦場のようだ。

 

ここで生き抜くには知恵が必要であり自分の頭で考えない者はいとも簡単に他者に操られ利用されてしまう。特に金を持っている者にはハイエナのごとく悪しき者たちが群がり甘い言葉を耳元で囁いてくる。

 

私の周りだけが特殊な環境であるならまだ良いのだが、恐らく世間でも同じような状況であり、更に日本以外の国々ではこれ以上に私たちの想像を超える状況が広がっているのだろう。

 

 

何不自由なく平和な毎日を送っている人々からすれば何を言っているのだろうと思われるだろうが、日々の生活からそのようなことを真剣に考えさせられる。

 

手に入れることで幸せになるのではなく、手放すことで幸せになれるということについて。

 

この人生でどれだけの人間がそれに気づくことが出来るだろう。

 

 

 

 

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