私たちの日常ではよく「無理をするな」という言葉が使われる。

 

実際私自身、自分では無理をしているつもりはないがそう言われることがある。

 

しかしながらこれまでの自分の人生を振り返るとその「無理をする」ということなしでは成し得なかったことが多いように思う。

 

 

とことんやり、

 

これでもかというくらい続け、

 

頭おかしいんじゃないかと言われるくらい継続し、

 

そうすることでなんとか形にすることが出来た。

 

 

その地味な努力の積み重ねと継続が達成と今という現状を創り上げてきたように思う。

 

私自身は秀才でもなんでもない。むしろ逆で自分は出来が悪く、要領も悪く、そして不器用でもあり、そんな自分は他の人の何倍も努力しなければ周りに追いつけないと思ってやってきた。

 

 

仕事において肉体的疲労や精神的な心労があるのは当たり前。

 

しんどいとか苦しいなどと。それも当たり前。

 

 

これまでそこから逃げようとすればするほどことごとく深みに嵌ってきた。今でさえまだ懲りずにそういう一面があり失敗し嵌って抜け出せないままでいることもある。

 

 

人は皆自分が幸せになるために生きているといわれるが、そんなことを考えたこともない。

 

ただ、ただ、目の前のことに必死に取り組み、あっという間に年月が過ぎて今に至る。

 

 

気がつけば妻と出会い子供を授かり、子供が幼い時は子供が寝ている間に往復の通勤に5時間を掛けて仕事に通い、深夜に帰宅するとまた子供の寝顔しか見れずの日々、休みの日も自宅で仕事。これは私だけでなく昭和や平成に生きた世のサラリーマンの多くが同じであったように思う。

 

せめて上の息子が幼稚園に上がる頃には早く家に帰ってきて家族の顔を見ながら食事が出来る、そんな生活を実現したいと思いながらも、結局それは叶わず気がつけば上の息子は小学校に上がっていた。

 

 

なんとかやっと子どもたちの起きている時の顔が見れる昼間の仕事に変わったかと思えば肉体的な負担は減ったものの精神的負担はそれまでの比ではなかった。

 

現状から逃れようとすればするほど精神的にも経済的にも肉体的にも全ての面において追い込まれていく。

 

人生の後半に差し掛かった今では以前とは比べものにならないほど軽減はされたが。しかしそれとてまだまだ一寸先は闇。

 

 

このままではまずいと考え、直ぐに結果が出る対策を打とうとすると深みにはまり反対に状況が悪化することが多い。

 

それを経験し分かりながらもやむを得ずと自己責任で何度もトライしてみたがやはり上手くは行かない。

 

 

だがその一方で、しんどくて時間がかかりそうでも地道に努力を重ねる方向を選択するとそれが正解である場合が多い。

 

「無理をするな」という言葉をかけられた時、その気遣いに対して相手に感謝はするが、実際は無理をする。正確に言うと自分では無理をしているなどとはこれっぽっちも思ってはいない。

 

私個人的にはそもそも仕事とは無理をするものだと思っている。

 

無理をして自分の持てる力以上のものを目指し、その実現のために必要なことを学び、失敗して自分の力を知り、何が足らないかを自覚し、その後また必要なこと学び、何度も何度も挑戦し失敗し、また挑戦し、それを繰り返し人は物事を成し遂げ成長していく。

 

 

周りのせいにしてふてくされて終わる人生などまっぴらゴメンだと考えている。

 

たとえお金という権力には抗えずひざまずかなければならないとしても、彼らに出来ないことを成し遂げ、専門の技量を身につけ「私へのそちらの対応次第では今後そちらの身も危なくなる」という状況を長年かけて作り上げ逆に相手を脅し返してでも我が身を守ってきた。

 

実際、状況次第、相手の出方次第ではためらわずそれを実行する。

 

 

現実世界は甘い世界ではない。

 

皆が人格者ではないし、むしろおかしな人間で溢れかえっている。

 

私利私欲がなく清廉潔白に生きていれば報われるという世界でもない。

 

相手を見て生きなければあっという間にズルい者たちに身ぐるみ剥がされ骨と皮だけになる。

 

かといって感情に任せて行動するとヤラれる。冷静沈着さと知恵も必要となる。

 

 

苦労して物事を成し遂げた人間はそもそもその苦労を苦労などと思ってはいない。

 

精神的に追い込まれ寝汗をかき、眠れぬ夜を過ごし、血尿や血便をして便器を真っ赤に染めながら、地べたに頭を押し付けられ上から足で踏みつけられて罵声を浴びせかけられても決してくじけず諦めずに這い上がる。そんな世界は極道の映画の世界だけだと言う者がいるかもしれない。

 

しかしながらそんな人間もいる。そんな世界もある。そしてそんな人間は決して自分を誇示したり虚勢を張ったりはしない者が多い。ただ冷ややかに周りを見て黙って自分のすべきことをしている。

 

仕事において無理をすることは当たり前であり何事も一朝一夕には成し得ない。小さなそして地味な努力の積み重ねとそれを継続することがより高みに登る唯一の方法だと私は考えている。近道はない。

 

そもそも他から強制されて嫌々ながらすることと主体性をもって自分の意志で取り組むこととは違う。

 

上り詰めた後に望む高みからの景色とは、気づいた時にふと振り返るとそこに自分がいると気づくというものであり、登っている途中は必死であって途中の景色を眺めるという余裕すらない。

 

 

「地味な努力の積み重ねと継続などという言葉は古くさい」

 

 

そのようなことを言う人間に私は普段から手を差し伸べることはない。これからも手を貸すことはない。

 

 

私自身も「無理はしないように」と周りに対して言うことがあるが、それでも無理をして努力する人間を応援し味方する。

 

 

逆に言えば口先だけの上っ面な人間に対して容赦はしない。

 

甘ったれのお坊ちゃんやお嬢ちゃんに対しては特に手加減しない。むしろ普通以上に厳しくする。

 

 

何事も生まれながらの先天的な資質だけで成し得ることはないと私は考えている。

 

今それが出来る人間はすべてのことにおいて当たり前にそれが出来るわけではない。並々ならぬ努力の積み重ねと血と涙と悔しさと継続がその背景にありそれが合わさりその先に成長と実現がある場合が多いと思う。

 

それを分かろうとせず表面的なものだけで判断し、羨み嫉妬する人間は多い。

 

 

しかしながらそのような人間に対しそれを分かってもらおうなどとも思わない。

 

それが分からない未熟な私たちだからこそ、それぞれその場所にいるのだから。

 

 

私たち人間は愚かで未熟であるが真っ白な頭脳で無力な肉体で生まれ、たった数十年で驚くべきことを成し遂げる。

 

肉体的限界はあるが、その可能性は無限であると思う。

 

 

それを忘れず、穢れた邪な心を持つ者たちに邪魔をされながらも、それを言い訳にすることなく、流されることなく、そして時に困難に立ち向かい自分の進むべき道を踏み外さないようにしたい。

 

私自身これまで失敗や人として間違った行いを数多くしてきた。それに対する言い訳はしない。

 

どのような外的要因があれ、出来ることに限りはあれどすべては自己責任であり最後は自分自身なのだと。

 

これまでの人生の経験から私はそれを強く思う。

 

 

 

 

 

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