人間それぞれ気質や能力なとが違う。
生まれ持っての先天的な気質もあれば、才能や能力と呼ばれるものは本人の努力の積み重ねなどにより開花したりと、それらには後天的要素が含まれるようにも思う。
人間は生まれや育てられた両親など家庭環境などに影響を受けるとは言われるが、同じ環境で育ち同じ教育を受けても兄弟姉妹まったくと言っていいほど人間性が異なることも多い。このため家庭教育などが及ぼす影響については限定的であることが伺える。
そうすると出てくるのが魂と呼ばれる霊的性質による影響である。
仮に霊性によるものと肉体的性質による相互依存により人間の人格というものが成り立っているとした場合、それらはどれほどの割合で影響を及ぼしているのだろうか。
気質と言われるものが霊的性質から影響を受けるだろうことは私たち人間にも理解できる。
だが、例えば学問的理解力などはどうだろうか。
3から5を引くとマイナス2となることが理解できる大人と理解できない大人がいるとする。
その差は何か。
通常は知能と呼ばれる肉体的かつ医学的脳機能の差であるとされる。
しかしながらこれも霊的性質、霊性から来る影響があるのだろうか。
もしそうなら、霊的性質によるものと肉体的遺伝に基づく脳機能の限界によるもの、個々の人間においてそれはどちらなのか、どう見分けるのか。
仕事をしていると一度話せば物事を理解し、更に自分なりに考えて他に応用を効かして成長していく者がいる。
逆に何度同じことを言われても次の日には忘れてしまう者がいる。簡単な算数の計算さえ出来ない者もいる。
これは霊的性質によるものと肉体的遺伝に基づく脳機能の限界によるもの、それらどちらに起因するものなのだろうか。
更に例えば、後者の至らない人間の肉体に前者の優秀な霊体が入ればどうなるのか。
後者の至らない人間は優秀な人間に変わるのか。
霊性と肉体の性質が及ぼす影響の割合とはいかほどのものか。
適正な肉体的機能をある程度見込んだ上で霊体が入り込むということもあり得るのかもしれない。仮にそうであったとしても同じ親から生まれ同じ家庭環境で育ちながら、知能、気質、自己本位性など個々の人間性は大きく違うことが多い。
かつて講師をしている時に極めて優秀な生徒がいた。まさに東京大学一直線のような秀才的生徒であった。
その生徒の兄は早稲田や慶応などは滑り止めにしか過ぎないほどのレベルの高い国立の神戸大学理系学部に進学し、更に親は日本銀行に勤めるエリート、まさにサラブレッドの血統とい言われる華麗なる一族(親子)であった。
これからすると学問的能力や記憶能力は肉体的遺伝や脳機能に依存すると考えることも出来る。
論理的思考力や学問的能力、記憶力などは肉体的脳機能に強く依存し、その一方で思いやりなど相手本位の心を持てるかどうかなどについて、つまり人格については霊性との関連性が強いと考えることは出来ないだろうか。
そのような事を考えながら人間というものについて考察している。
これらの答えについて私たち人間に分かるはずもないが、人間という存在とその性質を知る上でこれらは私にとっては重要な疑問となる。
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