仏教の教えに「縁起」という言葉があります。

「全ての現象は原因や条件が相互に関係し合い成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなる」という教えです。


更に仏教には「諸法無我」という教えもあります。

「すべての物事(諸法)は互いに影響をし合い、何一つとして単体で存在するものはなく、実体もない」

この世にある形あるもの、つまり「諸法」はこの世に永遠に存在する唯一絶対的な存在の「我」ではなく、あらゆる因縁によって生まれているというものを意味する言葉です。


存在とは個と個があってその存在が成り立つのではなく、存在とは個と個の「関係性」があって初めてその存在が成り立つのではないでしょうか。


例えば、

血の繋がった親であっても子から見た親、そこに信頼や関係性が成立していなければ親とはならず。

逆に言えば血の繋がりがなくとも、育ての親に対し、そこに心のつながりや関係性が成立していれば子にとっては育ての親が真の親となる。


存在とは個と個があって成り立つのではなく、相互の関係性があり、そこで生じ、結果「存在」となる。

私たち人間は自立していれば自分だけで存在し生きているように考えがちです。

しかしながら私たちは相互の関係性において初めて存在しており、一人では存在は成立せず。

 

経済的に自立し一人で生活をしていたとしてもそれは決して一人で存在し生きているというわけではないように思います。

 

 

私たち人間はそれを忘れてはならないのではないでしょうか。



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