「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
確か私が中学生のころ、社会の教科書にこのフレーズが載っていました。
これって都々逸(どどいつ)なんですよね。
都々逸というのは
七・七・七・五の
定型詩(規則的な形式を持っている詩)のこと。
※五・七・七・七・五の五字冠(ごじかむり)という形もある。
私はこの都々逸が、とっても好きなんです。
都々逸は江戸時代後期から明治時代にかけて大流行したそうで、
現在まで残っているものもたくさんあります。
例えば
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと 諦めた
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
うちの亭主とこたつの柱 なくてはならぬが あって邪魔
こんな風に都々逸は
シャレがきいていたり、情熱的な恋心を詠っていたり、どこか粋だったり。
どれも風情があって素敵だなぁと思うのですが、
私が1番好きなものがコチラ。
あの人の
どこがいいかと尋ねる人に
どこが悪いと問いかえす
この解釈として
「あばたもえくぼ」と捉えるものもあるそうですが、
私が思っているのは少し違って…
~イメージ~
A子「ちょっとB男!なんでC子みたいなのと付き合ってるの?!
あの子地味でブスでスタイルも悪いじゃない!
あんな子のどこがいいの?!」
B男「C子は友達が困っているときに手を貸していた。
それに関わっている人みんなに感謝して生きている。
C子のどこが悪いんだ?」
~イメージ終了~
私が受けるイメージとしてはこんな風に
大してその人の素晴らしさを知らない外野がとやかく言うのを一刀両断するような清々しさを感じるんです。
そこに悶えるぐらいのかっこ良さがあるな~と、私は思うんですよね。
もし私が都々逸にキャッチコピーをつけるとしたら
都々逸は
言葉のナイフで 切られもするが
そこには確かに 愛がある。
書かせてくれてありがとう。
読んでくれてありがとう。