ペタしてね

いろんな仕事をしてきましたが、今思うと、通訳が一番よかったのかな。!?

なぜかと言うと、毎回違う内容の仕事なので、飽きることなく、ストレスもたまりませんでした。

また、自分でスケジュールを立てられる状況にあったので、家庭と仕事をうまくコントロールすることもできました。

自分の中では、毎月受ける仕事を15~20日ときめ、当時子供たちは幼稚園や小学校に通っていましたので、学校の行事も仕事をしていないお母さんと同じくらい、参加することができました。ガチャピン

仕事する上で、私は自分的にポリシーを決めていました。それは、通訳は、結果的に会社の秘密を知ってしまう仕事なので、同じ業界の会社とは絶対に仕事をしないことです。

例えば私はBalillaナイフとフォーク専属の通訳でしたが、同じ食品、パスタを扱う他の会社とは一切仕事をしませんでした。

というのは、私も仕事を通してわかったことなのですが、日本の企業のサークルとはとても狭いものでしたので、同業の会社を掛け持ちして仕事をすると、どこかで、かち合ってしまうことがあります。そうすると、相手の会社が、自分の会社の秘密を、コンペティターにばらされるのではないかと、疑いをもたれてしまいます。なので、私はそうやって区別して仕事をしていました。

それにより私は、日本とイタリアの企業から信頼を得ることができたのです。


かといって、家の事情は変わらないままでしたので、ストレスが全く溜まらなかったわけではありせんでした。私は、悩んだり泣いたりしている姿を誰にも見せていませんでしたが、私の母はそれをキャッチしたのか、ある日突然、”ちょっと旅行でもいったらどう飛行機?子供は私が見ているから、海外旅行でも行って、リフレッシュクローバーしていらっしゃい。”と私と友達を旅行に行かせてくれました。さすが母親。子供の少しの異変も逃さないんですね。


と言うわけで、前にもお話したことのある、イタリアに私と子供を迎えにきてくれた主人の友達の美保ちゃんと2人Wハートでフィリピンへ旅行をすることになりました。私たちの旅行の間は、美保ちゃんの家族が私の母と子供たちを助けてくれていました。

やっぱり、私は周りの人に助けられながら生きてきたのだと実感します虹










(このお話は事実に基づいて書いています。)