9月19日~22日の3泊4日で、災害ボラ旅をしてきました。

7月23-25日の高梁

8月20-21日の総社

8月29日ー9月6日までの広島安芸区矢野

につづいて、4回目の災害ボラ旅です。

9月にはいって、ほとんどの自治体が、週末のみの活動になったり、ニーズ完了率にあわせて、規模を縮小しての活動形態に変わっていく中、被災規模の大きなところはこれまで通りの活動をつづけていました。

今回は、訪問する地域が少なくなっていく中、岡山でも総社が体制変更になり、いよいよ、倉敷・真備のみとなりました。

 

満を持して、倉敷に入りました。今回は、千葉からの踊り仲間の友人が合流するため、いつもの一人旅から、半分一人旅になりました。

9月19日、20日は、倉敷災害ボランティアセンターでの活動。21日は、千葉の友人の活動のお手伝いで、避難所への調理ボランティアへ。

そして、最終日の22日は、高梁のゲストハウス&カフェの復旧支援のおお手伝いという予定でうごきました。

 

今回も、高速道路の災害従事車両申請をして、無料で通過させてもらいました。

宿泊は、9月からはじまった、ふっこう周遊割を使ってみました。災害ボラ使用のを3泊分で申請してみました。

このふっこう周遊割のおかげさまで、快適な災害ボラ旅ができました!!感謝感激でした。

 

9月19日(水) 早朝に出発して、倉敷・真備へ。約2時間ほどの高速移動で到着。

高速下車後、あせってしまって道に迷ってしまいましたが、なんとか倉敷ボラせんに到着して、活動に入りました。

倉敷ボラせんで受付をして(今回は、ぺイタックスをつかって事前申請していたので、受付がとってもスムーズでした!!)

箭田サテライトに移動して、5人グループで、箭田サテライトの目の前にある、お宅の、天井の枠組の取り外しや、床下のお掃除、倉庫の撤去などを行いました。

男性4人と、私とで、5人チーム。男性陣は全員、倉敷や矢掛、水島など地元からの男性。

リピートしてくる方がほとんどでした。地元からの参加率がとっても高く、一緒に活動した方の言葉

「ほかの地域も気になるけれども、真備に入ってみたら、この深刻な被災状況見てると、とてもじゃないけど気になって、真備をなんとかしなきゃって思うから、よそには行けない。自分の近くのこの地域をまずはなんとかしなきゃって・・・・」

目の前でおきた、この災害に対して誰もが同じ思いで、動いているのだなあと実感しました。

今回、初参加という、若い男の子もいたのですが、彼は、とっても面白いけれども、冷静に対応してくれる人で、リーダーもしてくれました。

彼は昨日の晩にいった、飲み屋さんで、災害ボラに行った人は、奈良漬けチャーハンを無料提供するっていうことをしって、じゃあ、災害ボラに行ってくるから、夕飯に奈良漬けチャーハン食べるっていう約束をしたので、来ました!っていうひとでした。

そんなきっかけでも、どんなきっかけでも、こうやって活動に加われるっていいなーって思います。

彼なりに、ちゃんと準備して、まじめに活動してくれていましたよ~。

 

1軒めのKさまのお宅は、空気が乾燥していて、天井からも地下からもほこりがたくさん舞い上がっている、作業でしたので。

↓こんな感じでの完全装備での、活動でした。。。床下の掃き掃除などの作業でしたが、ほこりっぽいので、自分の実をしっかり守ることにも注意しました。

こんな格好していると、よっぽど、大変なことをしているのでは?と思ってしまうかもしれませんが、天井の枠組みはがしや高所の作業は男性陣におまかせして、私は、おちてくる木枠の撤去や片付け、まだ残っている床下の泥を吐き掃除したりと、こまやかなところをサポートする作業をしました。

 

2日目のお宅は、女性がおひとりで住んでいる、ふるいお宅。

泥壁をはがしたり、リフォームして増築した部分の木枠をはずしたり、残っているくぎを撤去したり、汚れた柱などを噴き上げたりと

総勢10名での活動でした。
 

現地合流して一緒に災害ボラをした友人Yさんの投稿を一部抜粋して紹介します。

Yさんは、7月にも真備に入って、民間レベルで個人的に災害ボラに入られてました。
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あれから二ヶ月以上m山のようなごみは、見えないところに撤去され、一見

町は落ち着きを取り戻したように見えた。

真備の多くの家は、二階の天井まで水に浸かり全ての家財と思い出を失った

延べ数万のボランティアと共に、泥を掻き出す作業が大分進み

家を傷めないように、細心の注意をはらい土壁を壊し、釘を一本ずつ抜いて

例えるなら、建前のような、柱や屋根が乗った、骨組みのところまでやっときた

この家を壊すか直すか決められない、そういう被災者さんが大半の様子

機械で壊すなら一日のことだけど、前にすすめない。

心の整理をつける時間が必要なのだ。

ボランティアセンターには連日200~800名前後のボランティアが全国から集まる

一日しか参加できなくてすみませんと謝る北海道からの30代男性

40代の女性二人組は千葉から。新潟から車で駆け付けたガタイの良い若者

他人なのに新潟の若者と、兄弟のような大学生。

受付には70代を越えていると思われる方々も。

みんな、なにかしたい。その思いだけ


2日目のボラ活では、ひとりぐらしの70代のAさんの家にボランティア入らせてもらう

「普通に暮らせることが、どんなに素晴らしいことでありがたいことなのか」

「皆様がそれぞれの場所でご活躍され幸せになりますように」

Aさんの言葉が、ずしんとくる、天井板は屋久杉、柱は弁柄塗り

三つ巴の紋が入る。淡路島から仕入れた立派な瓦。職人の素晴らしい仕事の見れる屋根

庭師さんの入っている庭。あの日まで当たり前に暮らしていた

誰かに話を聞いてもらいたい。Aさんの心の声だ。

ボランティアが賛否両論あるのは当然のこと。

でも出来ることは小さくないと思う。自分の目で体で心で受け取る。

ボランティアさせてもらった私の方が、より多く受け取らせて頂いた

実は真備の皆さんは明るい。いつの間にか仲間が集まり話に花が咲く

美観地区も通常営業している。

秋、ふっこう周遊割で倉敷へ遊びに。

広島や鳥取も対象。安芸の宮島、出雲大社

倉敷には吉備津神社もある

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2日目の活動日は、雨でした。雨でも室内での作業でしたので、暑さを感じることもなく、とはいえ、オーバーワークになりすぎないように。

適度に休憩を入れながら、15時ころまで活動をしました。

帰り道、送迎バスの車内から撮影した真備の住宅地。↓

被災した住宅のほとんどが、2階も窓をあけはなって、だれも住んでいないがらんとした街並みが続きました。。。

2日間、お世話になった箭田サテライト。

活動を終えて、最後のグループだった私たち5人だけを載せた送迎バスを。

雨の中でも、コーディネータースタッフや地元のボランティアの皆さまがお見送りをしてくださいました。

 

9月21日 3日目。この日もしとしとと雨が降り残っている1日。

この日は、友人のYさんが、避難所へお好み焼きを提供するボランティアをしに行くというので、

ご一緒させていただき、お手伝いをするボランティアでした。

真備の小田地区にある、まきび荘という避難所へむかいました。


被災したスーパーも1度取り壊して、再建中でした。

 

まきび荘の調理室。衛生面もしっかり、行き届いていました。こちらの避難所には、50人ほどのからが避難生活をされています。

昼間は、お務めや片付けなどの作業に出ているので、10~20人ほどだけになります。

昼食は、菓子パンやおにぎりだけなのだそうです。

そこに、おかずを一品作って提供するという、調理ボランティアとして、伺いました。

Yさんがつくるお好み焼き、徳島風なんだそうです。

約20人前を作る予定だったのですが、材料を多めに調達してあったので、30人分くらいを焼いてご提供できました。

セレンは、材料切ったり、洗い物したりと、下準備のお手伝い。焼くのは、Yさんが一人ですべてこなしてくださいました。

Yさんのお友達で、倉敷在住のAさんと、3人で、10時から14時の間で、仕込みから焼き、そして、片づけと、できました。

4時間ほどの活動でしたが、避難所に暮らすみなさまに、温かくて焼き立て、出来立てのお好み焼きを食べていただいて

喜んでいただけました!!

館内に、お好み焼きのおいしいにおいがたちこめて、においだけでも、おいしそう!たのしみ!というわくわく感があがっていたようです。

避難所を支援する、スタッフのみなさまにも、喜んでいただけました。

避難所には、生後3か月の赤ちゃんもいました。

生まれて、2週間で被災したそうです。1週間の入院後、おうちにもどって、おうちで1週間しか過ごせないままで、豪雨災害にあい、避難所生活になったという、3か月の赤ちゃんとご両親。

今は、穏やかな表情で、お好み焼きを食べてくださいましたが。。。。この3か月間は、乳飲み子をかかえながらの避難所生活はとても大変だったろうなあと、想像します。

また、逆に赤ちゃんんの存在があることで、癒しにもなってくれていたら良いなあと願わずにおれませんでした。。。


一緒に活動した、Yさん、Aさん。

Yさんとは、お宿も一緒にすごして、2泊3日を、よりこゆい時間を過ごしました。
Aさんとは、初めまして!でしたが、1日目と、3日目をご一緒させていただきました。

3人での、調理ボランティア活動も、ほんとに楽しくて。また、機会があれば、調理ボランティアをしに行きたいなーと思います。

まきび荘の避難所の方とも、連絡先を交換しましたので、一緒に行ける方、調理ボラをしにいきましょう!!

調理ボランティアの活動を終えて。。。Yさんたちとはまきび荘でお別れをしたのち。

倉敷ボラせんに、立ち寄って、活動証明書をもらったのち、一路総社&高梁に向かいました。

倉敷ボラせんに向かう途中にみつけた、災害ごみの置き場。。。↓


このごみの量をみるだけでも、被災の状況の深刻さを感じました。

3日間の真備での活動を終えて、感じたことを少しだけ、シェアします。

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コンクリの床下の掃き掃除してるだけなんですが、完全装備でした。

今までのボラ活動の中では、ここまですることがなかったのですが、真備はちがいました。
ほこりとか、壁の素材とか、天井からおちてくるものとか、いろいろあるのです。ゴーグルや防塵マスクない人はボラせんでいただけます。

真備のなかで一番被災がふかい、箭田地区で活動。家のすべてが、2階まで浸水して、からっぽです。だーれも人が住んでない町。2階まですっからかんになった、空き家だらけの住宅地がなんだか異様でした。

安芸区の矢野の被災もなかなか壮絶だったけど、真備は、また被災が深い。。。すべてのお宅を1軒ずつ対応しているので、2か月たった今でも、大工仕事をしてる。またここに住もうと決めた人は、リフォームするために壁も天井もすべてを取り外して骨組だけにする。
取り壊すことを決めた人は被災した当時のままで放置状態。まだ、決められない方もいらっしゃいます。
ボラがはいっているのは、またここに住む人、住める状態にするためのお宅。またはどうするかを検討している最中のお宅。

毎日毎日、平日のボラが400~500人規模(土日は800人規模)で動いている意味がようやく分かった。
町のすべてが、みんなすべての家が被災しているの。そのすべてをボラで動いているの。(取り壊しを決めたお宅もあるのですべてではないけれども)真備地区に何軒の家があるのか知らないけれども、みんな全部の家が水没したんだって、改めて実感した。
これまで訪れた被災地は、被災(水没または土石流に巻き込まれた)した家や集落と、被災を免れた家やエリアとがあって、地域全体ではなかった、町全部ではなかった。
でも真備は違う。みんなすべて、おんなじだった。どの家も、ある意味平等に、みんな水没しちゃった。

昼間は人はいるけれども、夜はだれもいなくって、生活の匂いもなにもない。がらんどうなの。生活のにおい、人の気配がないからっぽの住宅地を、作業を終えて送迎バスの車窓から眺めているだけでも、壮絶さがつたわってくる(ただ、感受性がつよすぎるだけかもしれないけど)


真備のボランティア、まだまだ、いるよ。この活動形態は9月までと風のうわさを耳にしたけれども。。。10月から名前か場所か、内容が変わっても、まだまだ手が足りない。
7月に高梁市、8月に総社&真備・岡田地区、そして9月の今、真備の箭田地区と、1か月おきに岡山に、上流から下流域に移動しながら、通ってることになるのだけど。下流になればなるほど被災状況がやばすぎる。


大工仕事が好きな人、DIYが好きな人、おうちの解体作業系が好きな人、ぜひ来てほしいなー。でも、ほんとは、プロボノで大工系、建築系の技術を持った人が来てほしい。。。一般ボラでもやれんことはないけれども、判断がつかないこと多いし、できないこともある。それでも、やれることをやるしかないから、やる。一般ボラでも、壁土はがしとか、細やかな軽作業とか、できることジミーに色々あるけどさ。。。プロボノ建築&大工系ボラが本気で必要だと感じました。北海道も、関西も、どこの被災地にも、支援の手はほしいのだけれども。
近いところで近しい人たちが、行きやすいところに支援に行けたらいいなーって思う。私は、単純に岡山が近かったから、岡山にいってるだけで。広島のことも知りたいから、広島にも行ってみているだけのことで。お隣同士なんだからさ、行ける人、鳥取から、島根から、近しい人同士で、お手伝いにいってほしーなーって心から願います。大工さん&建築関係者さん、むっちゃ求められてます♪

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倉敷をはなれて、総社にも立ち寄りながら、1か月ぶりに高梁にはいりました。

高梁も、少しずつですが、復興をしていました。

大きく傾いていた、道路標識は、撤去されていました。

気になっていたおまんじゅう屋さんの営業再開していました。川を見ると、当時のままで、流木がのこっていたり、樹木が傾いたままなんだけれども、お店などが少しずつ復旧している様子を見ながら、高梁市の川面にあるゲストハウスまでたどり着き、1泊させていただきました。

ゲストハウス柔 さん。こちらに1泊して、翌日は、高梁の駅裏にあるお知り合いのゲストハウス&カフェの復旧ボランティアをする予定だったのですが。。。オーナーさんが、日々の片づけで疲労困憊しており、休みたいということでしたので。急遽、お手伝いはなくなってしまいまして。。。

のんびりと1泊してすごして、帰路に就くことになりました。

思いがけず、ゆっくりと過ごさせていただきました。

ゲストハウス柔さんでの滞在のようすは、インスタでもアップしております。↓

https://www.instagram.com/p/BoB77o7hhVY/?taken-by=selene.katsurako

https://www.instagram.com/p/BoB9LGkBk9_/?taken-by=selene.katsurako

 

3連休の初日でしたが、雨も上がって素晴らしい秋晴れの1日でした。

のんびりと高梁で午前中いっぱいを過ごして、いふうらい美術館にも立ち寄ってから、帰路につきました。

4日目は思いがけずで、ゆっくりと休息ができ、観光支援もできた、3泊4日の災害支援ボラ旅でした。

 

10月4日現在では、岡山では、倉敷・真備が、継続して災害ボランティアの受け入れをしながら活動をされています。

民間のボラセンも継続して活動しています(旅商人さん、め組じゃぱんさんなど)

広島では、呉市が継続して毎日ボランティアを募集されています。

坂地区や、安芸区矢野地区、三原などは、週末だけの活動形態に変わりつつあります。

愛媛宇和島も、週末のみの活動に変わり、民間ボラセンが平日も継続して活動されています(災害NPO結さん)

JAではみかんボランティアも立ち上がりました。

 

豪雨災害から、もうすぐ3か月。公的ボラセンも、少しずつ収束しつつありますが、被害の大きかった倉敷と呉は、まだまだ支援の手が必要です。災害ボランティアが求められています。

10月いっぱいまでは、セレンも、災害地支援にいこう!と意味もなく心に決めていました。

できる限り、訪れたいと思っています。呉市は遠いのですが、まずは真備に、1泊2日とかでも単発で行けたらいいなーと思っています。

ご一緒できる方、ぜひ、ともにいきましょう~。

高速道路申請や、ふっこう周遊割などの、使い方、伝授しますよ~。

 

個人的には、セレンのなかでは、10月19-21日は、災害支援ボラが、自分のなかでは、総仕上げになるかなと思っています。

現在のところ、愛媛。宇和島に行く予定です。

↓こちらの団体さんの活動に参加したいと思って、チェックしていたのですが、9月30日で体制を変更されました。

https://www.instagram.com/p/BoVbX-DHxX9/?taken-by=unitedearth.npo

形を変えていくということは、それだけ、復興に向かっているということでもあるので、喜ばしいことです。

が、まだまだ色々な支援は必要です。ミカンボラでいけるかどうかは、調整中ですが。

愛媛宇和島がいけなかったら、倉敷・真備に向かう予定でいます。

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上記記事から。。。一部抜粋
「すべての世代が垣根を越えて”共に”の精神で防災・減災に取り組んでいくことが最も重要なことだと、宇和島での活動を通じて痛切に感じております。」

 

防災・減災も。そして、災害ボラも、すべての世代が、特別なことではなく当たり前に、ともに の精神で、当たり前に動けるようになっていけたらいいなと思う。。。今回の災害を受けて自分なりに動いてみて、特にそう思った。自分で勝手にブレーキかけてない?勝手に決めつけて思いこんでない?やれることやツール、選択肢は色々あるのに、考えること動くくことをあきらめてない?って、自分が災害ボラに行くことで、周囲に訴えかけていたと思う。訴えようと意識してなくても伝えたかったし、身をもって体現したかった野だと思います。
自分のうごく姿から、特別なこととか、セレンさんだからできることとかではなくって、もっと別な意味合いで、視点で、周囲がなにかを知って気づいてくれるきっかけかなにかしらになればなあって願います。

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今、三原市から、このブログをアップしています。

10月2日から、災害ボラ旅をしています。4月9日の地震で被災した、三瓶山(太田市)を訪問したのち、三原市に移動してきました。

三原市で、災害ボラをして、再び、高梁へ。高梁とのご縁はなんだか続いています。5泊6日の災害ボラ旅の最中です。

台風の通過があるので、十分に気を付けて、活動してまいります。