2月18日 旅する森 親子コースでした。

(省略して、旅森 とよんでます)

この日は、お天気予報通りの、大快晴。
Yちゃn親子さん、3回連続して晴れさせてくれてます。晴れ親子さんですね。

この日は、2歳になったばかりの、Kちゃんをみんなで応援しながら
米子城山のてっぺんまで、上ってみました。
一番真上だと、風が吹き抜けるので、ちょっと手前の平らなところまでにして、
ピラミッドのような石垣、城壁を眺めつつも、正面の大山と、木々の隙間からみえる海の水平線をみながらの
お昼ご飯タイム。
遠近法で、お山と小さな人たちがおんなじ高さになってます。
↓あまりのロケーションのため、思わずポーズをとらされている小さな人たち。。。↓ 遊んでいるわけではなくお写真用にと
母さまからのリクエストにこたえて、ポーズをとっているところです(笑)

そうだよね、おもわず写真に収めたくなるよね。私も写真に撮りました。

写真をとることに、夢中になりすぎて、カメラ越しでしか、わが子をみていないというパターンも多いのですよね。
でもね、カメラのれんぞごしではなくって、実物の目の前の小さな人たちの、うごめきを、ささやかな発見やきづきを一緒に
共有して、体感していてほしいなって思うトキもあります。

小さな人たちは、恰好なモデルでもあるけれども、カメラの写真で記録するfだけでなくって、
親さん自身の心で、体で、一緒に共有する体験として、刻んで、記憶にとどめいていてほしい時もあったりする。

それは、きっと、案内役をしている、介添えをしている、あたし自身にも言えることで。
写真をとることに、夢中になり過ぎて、お客様を、参加者さんを見れていない、寄り添えていないときがある。

レンズ越しでも、見れてはいるのだけどね。やはり、見過ごしていることもあるんだよね。
レンズ越しの傍観者でよいときともあるし、レンズ越しで見守ることよりも、その空間に一緒に、一体になっていくことも
ほんとうは、もっと大切で。その瞬間は、いまでしかないのだから。瞬間、瞬間を、写真で切り取るだけでなく
自分の心と体という、生身の記憶装置で、撮影していていたい、そうであってほしいなって思う。


ここまで、上ってくる道中では。。。。つばきのお花をひたすら拾っていただきました。
お手伝いしてもらって、ありがとう~。
翌日の、こよみ遊び雨水 で椿染めをするためです。

はじめましての、YちゃんとNちゃん。集合場所での駐車場ではぎこちなかったけど。
一緒に歩いて行くうちに。。。ちょっとずつ、すりよって、仲よしさんに。

ちっさいひとも、ガンバレーと。Kちゃんを応援。
おねえさんのNちゃんも、きた道をもどって助け舟に。
Kちゃん。今日はおんぶ&抱っこなしで、手を引いてもらいながらも、ゴールまで歩けました。
すごい!そして、おしゃべりも上手になってきました。これから、どんな言葉や声で、お話しをしてくれるのか楽しみです。


お昼ご飯を食べての、帰り道も。。。椿のお花をひろいながら、いろんな歌が生まれましたよ~。
遊びながら、
歩きながら、くりかえし言葉をしながら、なんとなくで、生まれてくるおうたがとっても面白い。

1曲目・・・上りの時に生まれた歌があったのですが、忘れてしまいました。
2曲目  あっるかなーなっいかなー
3曲目  あるいてちょんちょん、あるいてちょんちょん

他にも、名曲がうまれでてたかも。。。きっと、昔もこんな風に、うたって、歌い継がれて、
今の現在の、わらべうたとなって、残されてきてるのかもね。。。
おばあちゃんが作った、教訓めいたわらべうたもあるだろうし
母様がつくった、ねかしつけの子守唄もあるだろうし。
日常の、生活のなかで、自然と寄り添い、畏怖してきた、
暮らしの中で、生まれ出てきたんだろうな~って思います。

つばきの花粉がすてきなハンコになったり。
はっぱのうらの、越冬中の毛虫さんにびっくりしたり。
雨上がりで濡れた道に、つるんと転がってしまったり。
たかい石段にむかって、両手とおひざをつかって、うんこらしょと上ってみたり。

城壁をおりようとして、おなかをうってしまったYちゃん。
ジャケットをぬいでしまっていたので、上着がめくれて、お腹に擦り傷。。。
いたみをこらえつつも、やっぱりいたいものはいたい。。。よね。
気づくのがおそくなっちゃってごめんね。
泣かずに我慢できる年齢から、つぎは、どこがいたいのか、大丈夫なのか
どうしてほしいのかを、伝えられるようになる、段階に来ているのだね。

3月の旅する森 親子コースは、まだ、日程が決まっていませんが。
早春の海遊び と 早ければつくしとりなどの春の野花つみに行きたいなあと考えています。
桜のお花見もしたいところ。。。
また、決まり次第、こちらのページでお知らせいたします。


一人で活動しているには不似合いなくらい立派なHPですが(笑)、ご覧ください~
お問合せ、プログラム野お申し込みは こちら


【追記】 小さな人たちに、寄り添ってみると。。。今日のつぶやき
年齢差や、男女差、体格、気質、家庭環境、家庭関係(同居や、転勤族などなど)
周囲のいろんな影響をうけていることも要因の1つだけども。
同じヒト というカテゴリでも、やはり、1個隊、1生命体レベルでみると、
おんなじ人間でもさ、未就学児とまとめて、表現しちゃっててもさ。。。

一人一人、成長の段階や、ペースは。それぞれで、色々なんだなああって。
個性というか、その子自身がもっている、本性というか、気質もあるので、
いちがいに、この年齢はこうあるべきっても表現しがたい時もある。

ひとりひとりと、むきあえば、向き合うほどに。
その子の、個性豊かな変容、変化の過程を、地球人に、人間になっていく過程を
人体実験しているかのように、見守らせてもらっている。
初めまして、地球へようこそ と、地球という星の人間界に生まれ出た瞬間から。
宇宙人な赤ちゃんたちの、冒険と、人間体験が始まっているんだね。

小さな人たちはすべてが、初たいけんで。地球ってなんなの?これってなに?
の世界で、すべてが、初めましての中にいるんだよね。
私自身にも、その時期があった。記憶にはもうないのだけれども。
その記憶にない体験が、今の私をつくっている。

それには、数字的データや傾向や、対策を評価うすることも、きっとできるのだろうし
今も、そういった研究、調査はされているんだろうなっておもう。

生まれ出てから、地球にでてきてからの、3~4年の間に、身近なもの、ささやかなもの
小さな自然界の変容、いろんな地球を五感を使って、体感してみてほしいなあって思う。
この時期の、小さな人たちとの時間に寄り添えることは、セレンにとっても
きっと、かけがえのない時間なんだろうなって思う。

どんどん、変化、変容して、人間になっていく途中の、小さな人たちに
寄り添わせてもらっていることに、間接的でも、そのこの育ちに関わらせてもらっていること
1つの命として、地球上生命体として、自然体として、観察しているようにもみえる
この時間は、地球人であることを、宇宙人であることを思い出させてくれる時間でもあるのだなあって
人間レベルでの思いと、 宇宙人レベルでの思い、見解とが、混ざりつついます。

あれこれ、にょろにょろと書いちゃってますが、単純にいうとね。
ただ、純粋に、生きようとしている、小さな人たちの生命に触れさせてもらっていることが
純粋に、うれしいというか、すっごくパワーをもらっているんだと思います。
出会ってくれて、ありがとう。関わらせてくれてありがとう。
親さんが、私を見つけてくれて、勇気を出して、問い合わせてくれて、ありがとうって。
この地球上で、今、このタイミングで出会えることの、瞬間、瞬間を、ていねいに、向き合っていきたいと
ただ、純粋に、そう、思う。 そう感じている。