信じないんじゃない 信じたくなかったの
チリンチリン
とベルが鳴って扉は思ってたよりずっと軽く開いた。
客は一人もおらず、マスターがカウンターの中で暇そうに座って
煙草を蒸しながら新聞を読んでいた。
「いらっしゃいませ。」
少し驚いたようにマスターは言った。
私も驚いた。
マスターが予想以上に若かったこととか、お店が意外と広かったこととか、
一番奥に、立派なグランドピアノが置いてあることとかに。
「あの…えっと…」
「びしょ濡れじゃないですか。ちょっと待っててください。」
口籠もる私を見てマスターは言った。
そして私の返事は聞かずカウンターの奥へ行った。
私は扉の前で立ったまま店内を見回した。
右側には奥へ向かって三つ長方形のテーブルが並び、左側にはカウンター。
「どうぞ。」
すぐにマスターが新品かと思うぐらい綺麗なタオルを持ってきてくれた。
「ありがとうございます…」
「なんなら服も乾燥機にかけましょうか?着替えならお貸ししますし。」
…流石に初対面の、しかも男の人に乾燥機貸してもらうなんて…
「別に疚しい気持ちなんてありませんよ。」
たしかにそんな雰囲気は全くない。
でもそこまでお世話になるわけには…
「学生さんでしょ?濡れたままじゃ帰るに帰れないだろうし。風邪引きますよ?」
「へっくしゅんっ!」
なんともタイミングよく出てくれたくしゃみのおかげで決心した。
お言葉に甘えることにする。
風邪を引いたらせっかくタオルを借りたのにもともこもない。
「じゃあ…お願いします…」
「かしこまりました。」
マスターはまた奥へ消えていった。
頭を大体拭き終わるとマスターが戻って来た。
手には男物のパーカーとジャージのスボンがあった。
「はい。着替えはトイレでもいい?中から鍵できるのそこしかないんだ。」
「ありがとうございます。」
「トイレはそこね。」
私は指さされたカウンターの隣の扉へ入った。
掃除はどこも行き届いてるみたい。
貸してもらった服も、やっぱり男物は大きいけど綺麗に洗濯してある。
「いい匂い…って私何言ってんだろ…」
思わず出してしまった言葉に自分で驚き、急いで着替えた。
「ありがとうございます。」
「いえいえ。ココアは大丈夫?」
「あ、はい。」
「よかった。はい。」
トイレから出るとマスターがホッとココアを用意してくれていた。
私は濡れた制服をマスターへ渡し、カウンターへ座った。
マスターはまたまた奥へ消えていった。
一口、ココアを飲む。
喉を通って胃へ流れ込むのがわかる。
「はぁ…」
真から温まる。
甘すぎず苦すぎず。
ココアに詳しいわけじゃないけど、これがすごく美味しいのはわかる。
ピアノの向こうの縦長の窓から外を見る。
まだ雨は降り続いていた。
私はココアを半分くらい飲むと立ち上がって、ピアノへ近づいた。
綺麗に、ちゃんと手入れされたピアノ。
私はピアノなんか弾き馴れてるくせに妙に弾きたくなって鍵盤を押した。
そこで初めてこの店には音楽がかかっていないことに気付いた。
私はゆっくりと大好きなを弾き始めた。
