愛の存在として生きる道
愛の存在である
愛でありなさい
と真理存在から教えてもらっていますが
慈愛の愛とは
どんな愛か分からず
愛情を得る為に媚びを売るとか
対価を得る為の行為が多かったので
私なりの愛について考えてみます。
ここで言う
愛は
その人の為になることで
自立の為の愛であり
厳しさも愛で
真心です。
愛を欲していた私
人から神から自然から
貰うことしか考えてなかった。
不安や恐怖心を埋めるため
今までの私の目線から
急に愛を与える側になれない
と思い込んでいたり
承認欲求、かまって欲しい人
拗ねたり、面倒な人にも
愛を与えないといけないのか…
と感じる私
愛が分からない私だから
見えること
出来る事からやってみよう
と思います。
自分と相手を理解すること
から始めます。
私が目の前の人に感じていること
私から愛を奪おうとしている
愛はあげたくない
争奪戦…戦いでした。
愛を貰おうと私が思っているから
愛を奪われると感じているのです。
人から貰うとすると枯渇していきます。
私の都合良く貰えないから。
愛はそれぞれ皆持っていて
自らの中から湧き上がらせるモノ
「愛の存在であることを思い出しなさい」
とは人から貰うとか
奪おうとすることじゃないのですね。
宮島の弥山本堂に参拝したとき
虚空蔵菩薩様は
「平和」
を願うエネルギーに満ちておられました。
愛に溢れておられました。
慈愛の愛とは
どんな人に対しても分け隔てなく
与える愛なんですね。
私のささくれた心を
虚空蔵菩薩様は溶かしてくださいました。
現代に生きる私たちは
大切なことを
忘れてしまっているのかもしれません。
ありのままの自分を
ありのままの目の前の人を
受け入れ
愛という
真心を込めて
接することから始めてみます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

