​如実知自心

顕在意識の思考と葛藤が渦巻いて苦しい時

「だからなんなんだ」

という言葉で思考が止まると知りました。

一瞬止まっても

いつのまにか始まってしまうけれど。

思考は答えを求めたいのではなく

終わらせたくない

解消したくないんですね。

幻は幻だと指摘することです。



話は変わり

道が進んた先に

何があるのかと

期待する私がいました。

覚醒したらどうなるのか

キラキラ輝く

何者かになる私をまだ夢見てました。


そういうことではなかったのです。

浮かれた幻想を

真理存在に崩していただき

本来の位置へと着地しました。


一段深い場所の自分と向き合うため

一人称から二人称になり

自分だけの問題だけでなく

相手と正直な心で向き合い

それぞれが乗り越える

課題が出てきました。


「どうあれば、皆が幸せになるか」

という視点で行動する学びでした。



数日前、派遣会社の社長から

「いじめられやすいタイプと思っていた」

と言われました。


確かに人の機嫌を伺ってばかりいた私。

私が我慢していれば…とか

相手にどう思われるか

人の顔色を伺い

受け入れることが

人に寄り添うことだと思っていたんです。

他人軸で生きていたんです。


自分がなかったので

自分の気持ちが分からない

どうしたいかも分からなかったんです。


目の前の人の我儘や愚痴に同調し

疲弊してました。

他人軸で生きる選択をしていたのですから

仕方がありません。


でももがいていました。

人に合わせているから…

苦しかったです。


私が安らぐ場所はどこかにきっとある

「どこか」を探し求めていました。


私が足りないから

まだまだだから

〜しなければならないと

鞭打って

よく分からない何かと戦うように

頑張っていました。

頑張っていたらいつか報われると。

頑張ることでも

何かと戦うことでも無かったのです。

そう思い込んでただけ。

いい人になろうとしてたんです。


いい人になるって

自分を抑圧することで

幸せな生き方ではないです。

だからいい人をやめます。

本当にいい人は

いい人になろうとしませんから。


こんなことを人から言われたら

腹が立つのか

悲しむのか

何故そう感じるのか

テーマとして浮かぶ感情には

痛みはあれど

自分を磨くことは

好きな自分が増えること

自分と寄り添うこと。


それが

今の私にとって

魂に沿った生き方であり

本来の自分を知る旅のはじまり。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。