初めまして。
菅原ムツキといいます。
現在、昼間は某リラクゼーション施設にてセラピストとして働きながら、夜は経営している道場にて格闘技指導員をしている、格闘家系セラピストです。 このブログでは私の経験や学んだ事をご紹介し、見ていただいている方と共に成長できるように書いています。
現在は世界の指圧師KENさんのスクールにてセラピスト講師を目指して日々精進しています。
まずは自己紹介にお付き合い下さい。 ■1966年に静岡県静岡市に生まれる
両親共にいたって普通でしたが、でも転職も多い夫婦でした。
自身の特徴と言えば生まれた時から普通よりは身体が大きく、体力がありました。 (20歳当時 177センチ83キロ) 勉強は少し苦手でビリから数えたほうが早い位でした。 大きな身体の割に気が弱く、たまにいじめられたりして、そのせいで劣等感を持ってたり、自分自身を好きになれない、とにかく自己肯定感が低い子供でした。
■自信と挫折の中高学生時代
中学生に上がると同時に徐々に大きな変化が。
まず学業としては家庭教師が着いたのですが、数学ではなく小学四年生の算数からやり直しました、迷ったら基本に戻れの典型です。 私にもっとも自信をもたらしてくれたのは柔道でした。
一年の二学期からレギュラー入り。団体戦市大会や中部大会で3位のチームの唯一の下級生となり、とりあえず水を得た魚の様に生き生きとやっていったのを覚えています。 調子に乗ってました。
このままの調子で右肩上がりに人生が良くなると有頂天な自分自身がいました。
柔道に出会い、成績も残し、自己肯定感は確かに高かったですが、同時に漠然とした不安もありました。 高校でも柔道は続けましたが、補欠にも入らない位の落ちぶれました。 中学と高校ではレベルが違うといえばそれまでですが、
とにかく打って変わって、何度も畳に叩きつけられ、抑え込まれ、何度も屈辱感の中にいる高校生活でした。
運動部あるあるなのですが、高校時代、先輩にマッサージ的なものを教わり、よく先輩にやらされてました。
何故か気力も落ちて、卒業までとうとう持ち直す事が出来ず、柔道に終止符を打ちました。(最終的に二段位)
「お前も落ちたもんだな」と同学年の部員に言われたのが当時結構刺さりました。 大学生になりやっと落ち着いて、当時憧れだった極真空手をやることに。
そこでとりあえずリーダー的なポジションまでいきました。
■社会人になっても自信が持てない
社会人となった後は職を転々とする有様でした。
(当時私が20代前半まではバブルが残ってたとはいえ、いや崩れ初めですが、) 思い出すだけでも ・スーパーの店員 ・新車販売の営業 ・タイル職人 ・飲食店 ・佐川急便 荷物仕分け ・土木作業員… そんな中でもやり通したのは格闘技位でした。
(大道塾、空道という空手+柔道といった感じの総合武道) 40歳で初段獲得(因みに現在三段) しかしプロでもないし、道場経営だけで生活できるわけではないので、昼職を確立する為転職を繰り返すようになります。
当時は本当にどうしようもない状態でしたので、なかなか自分に自信が持てなかったです。
自己肯定感が低いまま、自信が持てないままなので、正直マルチにひっかかったこともありました。
自分としては色んな事に挑戦したつもりでしたが、何一つものになりませんでした。 プロ・アマ問わず、格闘技経験者の引退後の進路は割と、柔道整復師とか整体師も多いので、その道に進むことも心の隅では気になってました。 ある日家族から勧められて、割合低価格な整体スクールがあったので意を決して学び始めました。
そのスクールの資格取得したのが2011年。
46歳の時でした。(整体師認定証)
リラクゼーション施設で働く前は折り畳みの施術ベッドを買い、家族や親戚に自宅でやったり、ベッドを持ち込んで出張したりしました。 2011年の年末に、某温泉施設の一角の施設にて仕事する事になりました。 今思い出せば、力押しで疲れるし、たまに痛いというクレームっぽいものもあり、尚且つ時折親指の付け根が痛くなるなど。
本当に良いことが無く心が病みそうでした。 初期の頃はとにかく、今日より明日が良くなるように!と手技や解剖学を勉強しました。
そんな時、とある療法のセミナー(主に矯正系、座学と手技を1日約10時間)も受けましたが、
多分、沢山勉強した!という自己満足と勘違いもあったかもしれません。 そこで学んだ療法もそれはそれで素晴らしい技術でしたが、リラクゼーションでは使いにくい部分もありました。
でもせっかく学んだ技術なので今でも適材適所で使っています。 最初の施設では、親指の変形した20年のベテランがいまして、 正直今思えばキャリアの割に突出して上手な人ではありまさんでした。 その人が
「この指は俺の勲章みたいなもんだ」と誇らしげに言っていたのもあり、
当時はある程度苦痛に耐えた上で指が強くなり上手くなると思っていました。
3年目別の施設に移った時一月に3度クレームを受けました。
「痛いだけで、気持ち良くない」
という内容でしたが、流石に落ち込み、再教育を受けたりと挫折でした。 それでも5年位経つと、10本位は指名がつくようになり、もう一人前のベテランセラピストのつもりになり10年が過ぎるわけです。
その間にも、知り合ったタイ古式の経営者と協力しセミナー的な事をやってみたりチャレンジしてきましたが、なかなか上手くいきませんでした。
「自分にはセミナー講師になるのは無理なのか…」と悩むこともありました。
地道に施設でセラピストとして生きるしかないかなと思いながら、そういう人生も有りだと自分を納得させることも。
そうこうしてるうちに、前から動画だけは見ていた、世界の指圧師KENさんの基礎講座セミナーの募集があり受講しました。
丁度その頃、第一号のKEN指圧認定講師の方がデビューして、自分もそれに続きたいと思うようになりました。 KEN指圧スクールで学べば自分もいずれ講師になれるかもしれない! という事で、KEN指圧スクール年間講座スクールに通う決意をしました。
KEN先生から様々な指導受け、たくさん指摘も受けまして、
セラピストとして10年のキャリアがありましたが、変なプライドは捨て、基本に戻りスクールを受講して正解でした。
でなければ本物になれなかった気がします。 実はKEN先生のことは10年前位からYouTubeで動画は見てましたが、無料動画で見様見真似で覚え、参考にしようと甘い考えで時が過ぎていきました。 しかし、いざ習ってみると親指の角度、肘の角度、という基本的な技術の部分、 接客(声かけ、その他所作) 根底から仕切り直しました。
一応整体師の資格持ってはいましたが、初心に帰り、基本に戻ってやり直しました。
スクールの皆さんは、少なくとも私よりも誰一人例外なくレベルが高く、誰でもここに来ればセラピストの高みに達すると納得しました。
今までの私は、何もかも中途半端で一切ものにすることができませんでした。
しかしKEN指圧スクールで学ぶようになり、自己肯定感の低いダメな自分でも自信を持てるようになりました。
このKEN指圧スキルの技術、このマインドは誰しも一流になれる素晴らしいものだと実感しました。 スキルを身につけるとか体力をつけるとかやるべき事は様々ありますが、
自分的には一番大事なのは、諦めない心です。 私自信も心がぽっきり折れそうな時もあったので下手すれば辞めてた可能性も否定できず、
まあ歳も歳なので転職が難しいって理由も確かにありはしましたが、私なりに芯を持ってなんとか続けました。 実際、働いてる施設でも様々な理由で辞めていく方達もいて、その時私に今のスキルがあったら少しは支えになれたかもしれません。 その経験から、
“何が劣っても頭が悪くても諦めずぶれず続ける力が明日に繋がる”
その上で
“正しい努力をする事を教えてもらう”
これが一番の実感でした。 今までにも職の方は転々として遠回りしてしまいましたが、
50を過ぎてやっと本物になれたような気がします。
逆にKEN指圧スキルに出会わなかったら、クズセラピストで終わっていのでは?と考えるとゾッとします。 現在は、更なる技術の向上と、講師を目指して奮闘中です。
スクールも2クール目となり、本格的技術のみならず、接客、コミュ力、コピーライディングとやるべきスキルを磨き続けています。 これからは、私が救われたように、かつての私のようにセラピストとしての成長のお役に立てるよう活動していきたいと思います。
誰でも上手にできるようになれます!
私も悩んだり、クレームも受けたり、ダメ出しされたり、心が折れそうな時もありました。
でも今では自信を持ってできるようになり、心も芯が強くなったかと思います。
この職業は、しっかりとした技術があり、体が健康であれば、ある程度高齢になっても続けられます。
細く長く続けられるように技術を研きましょう!
私が変われたように、あなたも必ず変わることができます。
人生を変化させましょう!
菅原ムツキ