愛は与えても
与えても、なくならない。
与えたら与えるほど
豊かになっていく。
愛する力をもともと 誰でも持ってる。
だからそのエネルギーを
自分に向けて
自分を愛して行こう
自分に起こることを
誰のせいにもせず
人も責めず
自分も責めず
自分を許し
人も許す。
誰かにされた
悲しみや苦しみで
傷ついた心を癒し、
クリアにしすることが
出来るのは自分しかいない。
自分が自分を卑下して
認めないで、責めて、
自分を自分が傷つけていることに
気づかないでいる。
人が自分を責めても
それは事実じゃないことを
知って欲しい。
それは、その人の解釈にすぎない。
その他人のジャジを採用しなくていい。
それは事実?
その人の考えにすぎないのか?
責める人の意識は
誰にある。
その人の魂にあり、刻まれているだけ
深層心理は、他者と自分を
区別できないと言う特徴を持ち
人にお前はバカと言えば
自分の意識は
お前はバカだと
自分の魂にインプットし認識する
お前は最悪だと言えば
お前は最悪だと自分にインプット
していく。
だから
人に何を言われようが
それに傷つかなくていい。
自分が誰かに口にすること
思うこと、やること
他人を非難すれば
全て言った本人が
自分にインプットしているだけ
無意識だろうが何だろうが
関係なく、インプットされていく。
言えば言うほど
そして誰かにむけた
その罵声が種になり
やがて自分が非難される花を咲かせる。
どんな種を自分の意識に撒きたい?
自分を責め他者を責め
ボヤき愚痴の花を咲かせ
やがて愚痴の実をつける
原因結果の法則
当たり前引き寄せが起きる
ありがとうの種
感謝の種をせっせと自分に撒く。
やがて感謝の花と感謝の実がなる
毎日、種は撒かれいる
自分が自分を苦しめる
種を自分に撒いていることに
全く気づいていない人もいる。
お金がないと口にするたび
お金がない種を撒いて
お金がない結果を受け取る。
苦しい、苦しいと
苦しみを口にして
苦しみの種を撒いて
何で自分にお金がなくて
苦しみしかないのか?と
言っている。
苦しみの種には
苦しみの花と実が成る。
ただ自然の法則なだけ。
だから
自分に優しい種を蒔き
愛の種をたくさん撒いて
愛の花を咲かせ
愛の実を食べよう。
甘くて幸せな気分になる
種を撒いてますか?
今撒いた種は
今すぐに花にも実にもならないかもしれない
けれど、撒いた種に
愛を込めて水をあげたら
必ず花はさく。
実がなる。
毎日が種植え。
だから
意識して幸せの種を
撒こうとしてもらいたい。
苦しむことが
もう、ないように。
今、どんな状況でも、
あの人はどうの
この人ばどうの
非難を口にするたび
面白くない現実やみらいを引き寄せる
受け取っている実は自分が
過去に撒いた種
知らなかっただけ
だから
同じ種をもう撒くのは辞めよう。
また同じ苦くてまずい
実を食べたくない。
甘い愛の種を撒こう。
感謝の水をたくさん与えた
種は、必ず甘く美味しい実になる。
ありがとうの水を毎日飲もう。
ありがとうの種を毎日撒こう
それが自分のため。
人を許すことは相手の為じゃない。
自分の為。
許したら楽になるのは自分。
絶対に許さないと
決めて、怒りをためて
怒りを握りしめて苦しむのは誰?
自分じゃないか?
相手も苦しむかもしれないけど
自分も苦しむ
自分で自分を苦しめ
アホくさいことを
みんなしている。
だけど、みんな気にも止めずに
人の非難を平気にしてしまう。
愚痴を垂らしてしまう。
誰かを責めることは
自分を傷つけているだけだと
知らないだけ
貴方が悪いと
人を攻撃するのは
正義の旗のもとに
戦争をしていることと
何も変わらない構図になっている。
今すぐ、許して解放することが
出来るのに
争いを続けて行く
相手が変わることに執着し続けてきて
相手が変われば自分が幸せになれると信じ
相手に自分の幸せの権利を明け渡して
自分を奴隷のように扱っていることに
気づかない。
自分は誰かのせいで、不幸になったり
幸せになったりする。と
自分の幸せのコントローラを
他人に渡してしまい自分で操作不可能に
していながら
文句を言ってる、
自分の幸せのコントローラは
自分で握れるし
自分でコントロールする
立場になれるのに
誰かに自分の幸せを委ねながら
あんな人に支配されたくないと
言っている自分だと気付いてもいない。
自分を幸せにする主役も
監督も、プロデューサーも
全部自分なんだと知って
自分の感情に
責任をある毎日のジャジを
幸せのコントローラを
自分で握ろう
詩子
