掲示板「みんなの広場」でのお題へのコメントのシェアです。
最近はこのパターンが多いですね。笑
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「モチベーションが落ちてしまった時、皆さんはどうされていますか?」
形態レベルでは、
私は、TVドラマや映画を見たり、ショッピングやランチに行ったりして、気分転換しながら、魔術を使いながら、普通にリフレッシュしながら学びと実践を続けている感じです。
また、煮詰まっているときは仕事や家事も気分転換になったり、
最近は、たまにオンラインヨガなんかもしながらリフレッシュしています。笑
ただ、最近は、気分転換であろうがなかろうが、自分で選んで行動しているつもりになっていますが、それもただ起こっているだけであり、今、それをどちらでみているかだけなんだなーという感覚も少し感じつつあります。
そして、心のレベルでは、
私も体験的に多々ありますが、そういう時はちゃんと見ていない時だと自覚します。
見ていないということは、コースを学ぶ目的を見失っている、そして、自我の中で妥協している時です。
(ほんと、目的は大事ですよね〜)
「自分は何のためにコースを学び実践しているのか?」という目的やゴールを見失っていて、「まあいっか〜。」と妥協している時です。(妥協は自我なので)
「まあいっか〜とりあえず平安だし」と妥協するなら、それは地獄(戦場)の中での一時的な平安に甘んじている状態であり、「この世界の中にも希望(幸せ)がある!」と信じて聖霊(イエス)を拒絶し、苦痛を喜びと混同して、不幸であることを望んでそれがかなっていて、もはや救いのない状態だと認識していく必要があります。
そして、それでは何の解決にも至っていないということを認識し、その代償を自覚していくことが大切です。
それは、
コースに書いてある通りに、イエスの言う通りに学んで実践していくなら、私たちはモチベーションを失うことなく意欲的に学んでいくことができるはずなのですが(そのようにカリキュラムされている)、
もしそうでないなら、「そのようにしていない・見ていない=拒絶している」ということなのだと認識していく必要があるでしょう。
イエスが私たちにこのコースを本当に学ばせる唯一の方法は、私たちが今いる場所がどれほど不幸であるかを理解することです。
How Jesus Uses the Body and the World to Motivate Our Learning
<イエスは私たちの学びを動機付けるために肉体と世界をどのように用いるか>
https://www.youtube.com/watch?v=6yke3uUd_58 参照
つまり、イエスのいうモチベーションとは、自我と聖霊を見比べることにより、自我を選択することがいかに不幸で狂気なのか(間違い)という認識と同時に、聖霊が正気である(正しい)と認識していくことにより、「もう自我を選択するのをやめよう」という状態に導いていくためのモチベーション(動機付け)と言うことです。
そのためには、空席になった決断の主体を思い出し、そこから聖霊と共に自我を見ると言うことをしていかなくてはなりません。
これを自覚した時、
喜びのない場所では、自分がそこに居ないと気づく以外にどのようにして喜びを見つけられるだろう。
(奇跡講座T-6.Ⅱ.6:1)
と言う意味が理解されてくるのです。
自我を選択するなら全員(そこに自分も含む)が不幸であり、そこには救いも希望もないことを自覚し、それをやめて聖霊を選び直そう=赦しの実践へといざなうモチベーションです。
しかし、モチベーションが上がらないとか、妥協していることが悪いわけではなく、それに気づいて見ていけばいいのですが、、、
それもできない時は、定期的な勉強会への継続参加は命綱となりますよね〜。
また、モチベーションが上がらないとか、抵抗が強くて苦しい、、、などなど
そんな時にも学習者会同士のお話は参考になったり、役立つのではないかと思います。
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