赦しのプロセスにおいては、無意識を意識化していくので、隠されたものを掘り起こしていくようにも感じます。
それが、闇に光を当てていくということになります。
無意識に隠された願望。
分離したままでいたい。目覚めたくなんかない。
それを自覚して聖霊とともに直視する。
しかし、
否認、隠蔽、解離という自我の防衛の源となる神の子の力を見くびってはなりません。よね。笑
その願望は本当に隠されているので、コースを学び実践している方や、コースを教えているティーチャーの方々でさえも、(私の知る範囲では)それを言っている方はほとんど見受けられません。
それを信じていることが真の原因であり、
そこをちゃんと明確に教えてくれているのが、ワプニック博士の解説するコース形而上学であり、
それを日本語で伝えてくれているのがJACIMサイトであり、さらには、ワプニック博士の教材で学びを深めているもりGさんだといえます。
そして、実践していながらも、その願望は本当に密かな夢の中に隠されているので、無意識にスルッとすっ飛ばしている自分にも気づきます。
そこを自覚して聖霊とともに見るなら、
自我のトリックがネタバレしてしまい、世界や個人の重要性がなくなってしまうので、どうしても隠しておきたいのです。
しかし、そこに気づいて学んでいくなら、
コースの形而上学や、ノンデュアリティーなどで、ほとんど同じようなことを言っていても、その違いがわかるようにもなってきます。
そのポイントは、
「自分を何だと思っているか?」と、その無意識に隠された願望です。
つまりは、コースで言うところの、「心の概念」を理解しているかどうかがポイントとなってきます。
自分は肉体ではなく心なのだ。
そして、その自分が望んで分離したので、表面的には目覚めたいと望みながらも、無意識では全く望んでなどいないし、絶対に目覚めないとさえ決めている隠された願望による決断。
自我は本当にそこを隠しておきたいのです。
だから、無意識なのであり、その無意識を意識化していく。
そのために内側を見て、隠された願望を明らかにしていくことが大切なのだと言えるのではないでしょうか。