すべてが夢だったなんて

すべてが嘘で実在していないなんて

認めたくない!

というすごい怒りと恐れが湧いてきます。

 

コースのゴールは、

贖罪を受け入れ、

もう二度と自我を選ばない。として、実相世界へと完全に移行することです。

 

そして、神からの最後の一手を待ち全一性の元に完全に消えていくことです。

 

この、完全に帰還する。

とは

私たちはこれを最後の転生とする。ということです。

 

もう二度と転生しないのかー

と考えると、

 

この生はもういいけど、

次の生でなんとかしたい!

と言う思いが湧いてきます。

 

今生は去っても、

また次の転生があるとしたいって思ってる。

 

だから、完全に去るのは嫌だけど、

今回はとりあえず去ったフリをして、

取っ替え引っ替えすればいいやー。

次はどの生を体験しようかなーと。

 

この現実世界だけではなく、宇宙、多次元、宗教、輪廻転生、

なんでも使って個別性、特別性への執着を握りしめる。転生への執着を握りしめる。

 

どこまで行ってもキリがない。。。

 

そうやって、時空の中で何千、何万という転生を繰り返してきたのだと思います。

 

それを終わりにする。なら、

その恐れたるや、絶大なるものだとわかってきます。

 

本当に恐れているんだな。

神の愛を恐れている

贖罪を恐れている。

 

やっぱりどこまで行っても帰りたいなんてさらさら思っていないんだ。

 

しかし、投影された世界の中の多種多様性の果てしなさを見続けているなら、

もはやここには救いは皆無だともわかってきます。。。

 

 

二進も三進もいかなくなったとき、

実はこの時間と空間の世界は

すでに訂正されて終わっているのだという聖霊の声に耳を傾け始めます。

しかも一度も何も起きていないのだと。

 

それが救いでなくて何なのでしょうか?

 

この今も、私たちは分離を選択し続けていますが、

実は終わった過去を反復しているだけで、

すでに終わっているし、しかも、それは始まってすらいないのです。

 

そのすべてを知っている聖霊(正しい心)がなければ、いったいどこに救いがあるというのでしょうか?

 

 

なので、

これらのすべては私自身がでっち上げているという「真の原因」に戻り、その間違いを取り消すことだけが救いだともわかってきます。

 

そして、それを恐れている。

 

その恐れで世界を作った。

 

恐れがあるなら神は存在しない。

恐れがないなら神は実在する。

 

だから、

恐れがなければ完全に宇宙の消滅となる。

 

なので、

恐れがなければ私はいない。

 

恐れがあるから私はここにいる。

 

だから恐れを実在のものとしたいし、恐れを望む。

 

そして、苦しみ続けたい。。。

 

これを自覚するなら、あまりの愚かさに微笑まずにいられるでしょうか?

 

そして、この恐れを見て取り消さずして、

私たちはどうして天国に帰れるのでしょうか?