「このゴミが!」
と人から言われると
ムカっとくる。
多分みんなそうだろう。
もちろん、怒る。
そして、
なんて酷いことを言うヤツだ。
私がゴミ?はっ?
ど〜言うことよ!
と溢れ出す不満。
しばらくして落ち着いてくると、
私が自分のことを
「ゴミのような無価値な人間だ」と
思っているということの
現れなのかしら?
とかと、分析をしだす。
しかし、
攻撃を受けたように感じてしまった
ということは、
その前に、必ず私が何かをしたはずだ。
そして、その前に、無意識に
必ず私が攻撃(防御、恐れ)しているはずだ。
私自身の、罪悪感の投影によってのみ
それが起きているはずだからだ。
そうは言いつつも
しばらくは、
心のどこかに引っかかってはいたが、
これはどういうことですか?
正しい解釈ができますように。
と聖霊に祈っていた。
そして、
ふと、
そうです。
私はゴミです。
と思えた。笑
ゴミってなによ?
そもそも、この身体も世界も
真理からみれば
塵(ちり)同然のものではないか。
(テキストにもそう書いてある。)
そして、ゴミも瓦礫もちり屑も汚物も
私という属性の中でひとつなのだ。
そして、それは、美しい花や宝石とも
なんら変わりはしない。
善と悪との差異を見て、
勝手に解釈して、除外している知覚がある。
私という自我や身体に
まだまだ価値があると信じている。
私はゴミのように無価値な人間だと
信じているのかと思うこと自体が
すでに狂っている。
私は分離を信じている。
そして、
すべての不満も怒りも、恐れからの
愛を求める懇請。
あの人がそうなのではなくて、
私がそうなのだ。
一なる自我がそうなのだ。
私はまだこんなにも愛を求めている。
私はこんなにも神の愛を求めている。
私はこんなにも神から離れたと信じている。
私が自ら分離した。
なのに、
怖くて帰れない
家出中の少年少女か。。。
ということを見せてくれた
愛するバカ息子に
一応
感謝する。笑
そして、ゴミと言おうが、
ゴミだと言われようが、
怒ろうが、恨もうが、
あなたにも私にも
罪のないことは
神によって保証されている。
ありがたや〜
今日も幸せな1日を〜〜♪