赦しの実践をしていくと、まだまだ赦しがよく分かっていない時などは、自我が自我を見ていることになることが多く、非常に苦しくてつらくて、コースをやめたくなったり、肉体に投影して具合が悪くなったりもします。


そういう時、私はよく、

「あー、まさに辛酸なめ子状態だー」とあんぐりしていました。


恐れを見ていくなら、まだ恐れを実在させているので、辛酸をなめるが如く非常につらいと感じられます。


それでも最近は、それも赦しの一つのプロセスとして、ずっとそこにはとどまらずに、階梯を登っていけるようにもなってきました。



ですが、

自我と同一化するということ自体が、辛酸をなめることあり、隠された心を見るなら、「辛酸を舐め回したいのだ!」と望んでやっていることがわかってきます。


しかも、重箱の隅まで舐め尽くしても、飽きたらず、もっともっとと欲している。


これを見るなら、それはもう狂っているとしか言いようがありません。



そこまで見るなら、そんな狂った自我を手放すことは難しいと感じることもなく、すぐそばにあるそうでない見方もできることを受け入れたいと望むことは自然なことてしょう。


すると、もはやそのすべてを笑ってみれる視点を思い出すことが可能となるのでした。