旧堺燈台は、京都在住の私にとって
気軽に訪ねやすい旧燈台です。
赤ポイントが旧堺燈台です。
堺市(大阪府)の郵便局は
少しずつ違う形で
多くの郵便局が
風景印に旧堺燈台のモチーフを
取り入れています。
それくらい旧堺燈台は
市民の方にしっかり認知され、
市のモニュメント的存在となっている
珍しい旧燈台です。
ちなみに堺郵便局の風景印はこちら。
斜めに押印されちゃって、
切手にもざっくり侵入されてますけれど…。
灯台の細やかな描かれ方が、
灯台のある風景印の中でも
格段に良いと 私は思っています。
堺旧港地区の突端に建っている
6角錐型の木造洋式灯台です。
元々の名を『大浜燈台』といい、
江戸時代中期 元禄2年(1689年)に
堺港の大問屋さん方が
資金を出し合って作られた
堺港私設の灯明台を
洋式に作り直したものとして
明治10年(1877年)に建築・初点。
昭和43年(1972年)に廃灯となるまで
95年間に渡って
大阪湾を照らしていました。
建設当時から同じ場所にあり続ける
木造洋式灯台としては
日本最古のものの1つとされていて、
国の史跡かつ近代化産業遺産にも選定され、
堺市の方々に愛され続けています。
旧堺燈台=大浜燈台は
国家資金ではなく、元々あった燈明台同様
堺の問屋衆が資金を出し合って
建設費が賄われた、私設扱いの燈台でした。
この小さな洋式燈台は、
英国人技師の
R.A.ビグルストーン氏によって設計され、
施工は 堺の大工であった大眉佐太郎氏が、
足元にある基礎の石組は
岡山県出身の石工である
継国真吉氏が携わって造られました。
灯器は、フランスの
バルビエ・エ・ベナール社製のレンズを
横浜の燈台局経由で購入し、
燈器取り付けは
横浜の燈台局から派遣された
設計者のビグルストーン氏によって
行われました。
ビグルストーン氏は
日本の灯台の父と言われるブラントン氏が
明治9年3月に横浜燈台寮を解雇された後、
同 明治9年の12月に
燈台寮に職工長兼機械監督として雇用され、
ブラントン氏の後任的役割を担っていた
築造方のマクリッチ氏の下で
働いていた方です。
明治10年に燈台寮から転じた燈台局で
在任期間は短いですが、
3番目に遅く解雇された
お雇い外国人でした。
***
堺市の方々は
堺旧港、旧堺燈台共に
地元の遺産として大事にし、
観光資源の1つとして
存分に活用しておられるように見えます。
(堺市は他にも累々と観光資源があり、
その最たるものに、
かの 日本最大の前方後円墳である
大仙陵古墳=通称 仁徳天皇陵がある
すごい所です…。)
堺駅経由で旧堺燈台から
堺郵便局へ行く道には、
路面電車あり、名所・旧跡
(与謝野晶子さんの生家や
フランシスコ・ザビエル所縁の地
に造られた公園等) ありと、
見物がてら 楽しく歩けますが、
それだけじゃないのです。
この大小路という通り沿いにある、
堺市立小学校に旧堺燈台を模した
モニュメントと、陶板で出来た素敵な
南蛮貿易や大航海時代の世界地図
などの パノラマ壁画があったり、
堺市役所前付近にも
旧堺燈台の形をした電話ボックスが
設置されていたり、
マンホールにも
旧堺燈台が描かれていたりするのです。
旧燈台の親しまれぶりに
少しびっくりさせられます。
時計もついて便利だし、
これ、夜間はちゃんと 光るのかも!
ちなみに
堺駅構内や堺東駅前にある
観光案内所では
旧堺燈台のポストカードも
販売されています…。
わたしは、
この旧堺燈台のポストカードに
堺郵便局の風景印を押してもらいました。