ここからは、
鳥越隧道をわたしに
案内してくださった
お知り合いの
地元のおじさまのお話の
覚え書きです。
①
鳥越林道が現役だった頃、
賀田の小学生は
この隧道を通って
遠足に行ったとのこと。
おじさま方にとっては、
そういう思い出の中に
鳥越隧道があるんですね。
バスかなんかで熊野市方向へ
遠足に行ってたのでしょうか…?
②
昔はこの隧道の天井に
落石防止のため鉄板が
吊り下げられていた
のだそうです。
その鉄板は、戦時中に
鉄が要りようになったので、
そのとき持っていかれて
そのままになっている
のだとのこと。
昔のトンネルは、
そんな落石防止対策が
施されていたんですね…。
鉄板を吊り下げること自体
危なそうにも思えるけれど…。
③
隧道を作る際の作業員として
賀田に来ていた
韓国・朝鮮の方に
お菓子をあげて仲良くなった
おじさまのお母様の
幼なじみとそのお母様が、
韓国語を教えてもらっていて
それが羨ましかったとのこと。
話がちょっと
ややこしいけれど、
おじさまの
お母様の思出話なのだろうと
わたしは理解しました…。
④
鳥越隧道を尾鷲市側へ出て
廃道になっている鳥越林道を
30分ほど歩いたところに
賀田の林業関係の方々が
江戸時代に作った
立派な切通し
があるのだそうです。
おじさまは
切通しについて、
「あれは僕たちの祖先が
作ったんだ」と
誇らしげに語っておられました。
ぜひ
今度は その切通しを
見るために鳥越林道を
歩きに行きたいな…。