鳥越隧道→昔ばなし。 | Essays in Idleness

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ここからは、
鳥越隧道をわたしに
案内してくださった
お知り合いの
地元のおじさまのお話の
覚え書きです。


鳥越林道が現役だった頃、
賀田の小学生は 
この隧道を通って
遠足に行ったとのこと。

おじさま方にとっては、
そういう思い出の中に
鳥越隧道があるんですね。
バスかなんかで熊野市方向へ
遠足に行ってたのでしょうか…?


昔はこの隧道の天井に
落石防止のため鉄板が
吊り下げられていた
のだそうです。
その鉄板は、戦時中に
鉄が要りようになったので、
そのとき持っていかれて
そのままになっている
のだとのこと。

昔のトンネルは、
そんな落石防止対策が
施されていたんですね…。
鉄板を吊り下げること自体
危なそうにも思えるけれど…。


隧道を作る際の作業員として
賀田に来ていた
韓国・朝鮮の方に
お菓子をあげて仲良くなった
おじさまのお母様の
幼なじみとそのお母様が、
韓国語を教えてもらっていて
それが羨ましかったとのこと。

話がちょっと
ややこしいけれど、
おじさまの
お母様の思出話なのだろうと
わたしは理解しました…。


鳥越隧道を尾鷲市側へ出て
廃道になっている鳥越林道を
30分ほど歩いたところに
賀田の林業関係の方々が
江戸時代に作った
立派な切通し
があるのだそうです。

おじさまは
切通しについて、
「あれは僕たちの祖先が
 作ったんだ」と
誇らしげに語っておられました。

ぜひ
今度は その切通しを
見るために鳥越林道を
歩きに行きたいな…。