名古屋プレジャーグループから… -11ページ目

名古屋プレジャーグループから…

お店からの色々なメッセージから抜粋して書いています。

だって淋しいものよ 泣けないなんて
 

そっと涙でほほを 濡らしてみたいわ
  

ひとりぼっちの部屋の ベッドの上で
   

ちょっとブルーな恋の 夢を見ている
    

乾いたこの花に 水をあたえてください
     

金色のレモンひとつ 胸にしぼってください
      

わたしは愛の 水中花
         

これも愛 あれも愛
            

たぶん愛 きっと愛



名古屋プレジャーグループから…
1979年のヒット曲です。




当時の彼女は間違いなくセンセーション、清楚な色気は男万人が惚れたはずです。歌唱的に言うならまだ上を望みたいところですが、彼女の笑顔と肢体の素敵さでそれはクリアされていました。


セクシー&エロスは品位と清楚感の上に成り立つと心得ます。彼女-は間違いなく二物を得た女であった。


you tubeのコメントを引用



大切ですね、このセット。



清楚な色気は私が大切にしているところです。





福岡








1940年代




自動車産業にイノベーションを起こそうとした人物がいました。



プレストン・トマス・タッカーさん。



高性能で、安全な自動車 これがキーワード。



現代の車の方向性なのですが、当時タッカーさんが作った自動車があまりにも凄すぎました。



だから、


いつの時代だってInnovatorは保守派からは手痛くやられるものです。



プレストン・トマス・タッカーも例外ではなかったようです。



あらゆる困難にあい、挙句言われの無い罪で訴えられ、裁判にかけられます。



彼の映画が1988年に上映され、私は何度も見ました、ウィキペディアにも載っている裁判所での有名なセリフがあります。



刑事裁判で詐欺事件の被告人となったタッカーが最終弁論で陪審員席に向かって、自らの信じるアメリカの自由・正義・未来を訴えます。



「もし大企業が斬新な発想を持った個人を潰そうとするなら、進歩の道を閉ざすばかりか、自由という理念を破壊することになる! こういう理不尽を許せば、いつか我々は世界のナンバーワンの座から落ち、敗戦国から工業製品を買うことになる」 と演説する。



たった50台(一説には51台とも言われる)しか作れなかった夢の車



『タッカー・トーピード』


グランドオペラ中洲勤務・福岡のブログ



実際には作れもしない車を売ろうとしたという罪に問われた彼は、必死に造った50台を実際に裁判所前を走らせ、無罪を勝ち取ったそうです。



60年以上もたった今、そのタッカーは47台が走行可能な状態で現存するそうです。



映画ではその47台すべてが実際に集まって裁判所前を走るシーンがあります…





そのシーンは本当に感動です…



他の見どころはやはり彼の奥様の愛。彼をひたすら信じ、愛します。



また素晴らしいのです…



福岡

高校生の時買った懐かしいオートバイ



GSX400F



名古屋プレジャーグループから…
画像はヤフーフォトから転載



当時30万円で買ったオートバイ(中古)



私の母親がオートバイを買ったなら部品を買ってあげる!と言う。



さんざん悩む。



集合管がほしいけどどこのメーカーにしよう・・・




モリワキの艶消し黒の手曲げショート!


いやRPMのメッキ!


選んだのはヨシムラサイクロンのメッキ。たしか6万円ちょっとした!

(母さんありがとう)



注文してから届くのを待つ…



父と車で取りに行って兄と一緒に家のガレージで取り付けた。

(父さん兄さんありがとう)



ヨシムラさんは博多の出身、ひどく苦労されたが最後は夢をかなえた人。



それもとびきりでかい夢を叶えました。



高校生の私とヨシムラさん…



きっと博多は私に縁深い場所なんだ…




福岡