今年の夏の暑さは大変なものでした。
7月は雨ばかりだったのに、親子教室の2週目からぐぐぐっと最高気温が上がり、
セコイアは最後に坂を上がっていただくので、申し訳ないなぁと思っていたのですが、
子どもちゃんたちはそれでも、いつも楽しそうに笑顔で通ってくださいました。
今回の親子教室はお二組だけでゆったりと実施しました。
2歳2ヶ月の女の子さんは、トイレも着替えもなんでも自分でできるお嬢さん。
でも初回はすっかり内弁慶さんで、
棚に置かれたいろいろなものを本当は手に取りたいのに、泣いて泣いて、泣きに逃げ込んでいました。
「ずーっと泣いてるの?」「うん」「そう・・・、じゃ、泣いてなさいな」「うん!」
泣いていたいという意思が明確です。これは尊重しなくてはなりません。
後で聞いたところによると、春に初めての一時保育を経験し、
その時のママとのお別れが、彼女にとっては思いがけないタイミングだったようです。
保育園っぽい場所や人を警戒しちゃうのも無理はないね。
その彼女が、2日目を終わったときにはもう、
「○○はお姉さんだから」「○○がやってあげる」とママに言うことが増えたとお聞きして感激しました。
もうおひとりは1歳9月、まだ明確な発話はこれからですが、陽気な男の子さんです。
初回からいろいろなものに興味を持ち、手を伸ばし、積極的です。
でも、どこか本来の彼自身よりも少し幼めに見せているように感じられる時もありました。
「ひとりでなんでもできるようになりたい!」「大人のまねをしたい」と言う気持ちと、
「ママに甘えて心地よく過ごしたい、赤ちゃんのままでいい、それがいいんだもん」
という気持ちが、彼の内面で引っ張り合いをしているようでした。
親子教室で、自分の好きなことに手を伸ばし、やり方を教えてもらって、
好きなだけやらせてもらえる自由ときちんと終わる責任を与えられて、
おふたりとも、小鳥が巣立つように自立的になっていきました。
バナナを切って食べたり、お花を生けたり。回を追うごとにどんどん自信をつけていきました。
来る日も来る日もお洗濯が大好きだったね。教えてもらったやり方だね。
水場は小さい人たちを圧倒的に引き付けるので、少しずつママを見なくなって、
自分の体が求めている活動にひたと夢中になるほうへと方向付けを助けてくれます。
最終日近くになると、大人の方ではなくお姉さんのしていることをよく見るようになって、
お姉さんのほうも(お姉さんといってもまだやっと2歳ちょっとだけど)見られていることを十分に意識して、
その意識が、もっともっとお姉さんにしてくれるんだよね。
そしていよいよ、自分のことは自分で最後までする、その気持ちいい姿を見せてくれました。
まだ2歳前。でもこれが等身大の2歳前らしい自立です。
モンテッソーリの考え方によれば、引っ込み思案も幼さも「逸脱」と呼ばれます。
もともと子どもの中にある、「発達の予定表」にはないものだからです。
予定にないものができてしまうのは、間違った環境が「予定どおり」を邪魔をするからです。
子どもの予定は「自分で、ひとりで、できることが次々と増えていく」ほうへと向かっています。
小さな手を伸ばした先にあるものを察知して、「どうしたら、あれをひとりでできるかしら」と、
今の子どもの手にあったやり方を大人が考えて教えてあげることが大切です。
たとえば引き出しに手を伸ばしたら、そこに彼のおもちゃを入れて自由に使わせてあげる、
水道に手を伸ばしたら、踏み台を置いて手の洗い方を教えてあげる(大人が洗ってやるのではなく)、
大人の靴に手を伸ばしたら「そろえてくれるの?ありがとう」と言って靴のそろえ方を見せてあげる・・・。
その時すぐにできてもできなくてもいいんです。
丁寧に見せてもらったことは必ず子どもの中に残って、根を下ろし、
ある時、やわらかな新芽を吹くように発現します。
それを確かに受け取って、大げさでなく額面どおりに喜んでやることが自立の定着を助けます。
等身大に、等身大に。大人はいつも子どもに対してフェアでなくてはなりません。
次回の親子教室は3月の予定です。
関心がおありの方はお早めにお知らせください。
セコイア・モンテッソーリ子どもの家
shimizu@sequoiamontessori.com