40歳独身男の人生見直し徒然ブログ( ̄Д ̄)ノ -9ページ目

40歳独身男の人生見直し徒然ブログ( ̄Д ̄)ノ

不惑の40代に突入してもなお、仕事に恋愛に人生に迷いもがく(^^;;男の、人生見直し系徒然ブログです(・ω・)ノ

地元ではそれなりに"進学校"と呼ばれる公立高校に入り、

それなりに勉強しつつ、音楽ばかり聴いていた毎日。

高校1年の9月、父親が他界し、我が家は母子家庭となっていた。



起業家だった父親は、パートナーと共に東京で会社を設立し、従業員を集めやすいという理由で静岡県の片田舎に母親、姉と共に引越して来た。

そこで僕は産まれた。

パートナーの男は東京で事務所を借りる資金を出したというだけでほとんど仕事をせず、たかが中小零細企業の社長でありながら、愛人を作りまくりやりたい放題。

仕事人間であった父がボロボロになりながらあちこちを駆けずり回り、仕事を取り、会社を軌道に乗せた。

そんな父もパーキンソン病を発症し、不自由となった脚を引きずりながら、只々会社の為に身を削る毎日。


やがてパートナーとの関係が悪化し、喧嘩別れした父は、退職金も貰わず自ら育てあげた会社を去り、独立を図った。

不自由な身体、上手くいかない仕事…

苛々もあっただろう。

外では温厚で人望もあった父が、自宅では日々母と喧嘩しては、母親に手を挙げるようになっていた。

外地蔵内弁慶というやつだ。


生活は苦しかった。生活水準は低かったが、

母親の内職のおかげで、食べることだけには困らなかった。

母親にはいくら感謝してもし足りない。


中学校の頃から毎日毎日、夫婦喧嘩と父親による暴力から母親を守る日々が続き、

そんな僕が唯一心の安らぎを感じられたのは、音楽を聴いている時と、夢想の世界に浸っている時だけだった。


高校1年の8月、父親を独り残し、母親、姉、僕は家を出て別居状態となった。

僕は男として父と共に残るべきかと思ったが、
母親より、

「あんたはもう高校生で、お父さんよりも力があるし、喧嘩になった時、
相手は脚が不自由だから、転んで打ち所が悪くて死なせてしまったりしたら、あんたの人生が台無しになってしまう」

と諭され、共に家を出た。


そのわずか1ヶ月後…

父親が自宅で亡くなっているのが発見された。

発見時の状況から見て、朝出かけようとして、玄関マットで脚を滑らせ転倒。
頭の打ち所が悪く、そのまま亡くなった様だ。

発見は死後1週間と推定され、残暑厳しい最中、遺体は見るも無惨な状態であった。

駆けつけた親戚達と共に、後始末と清掃を済ませ、
母親、姉、僕は、別居の為に借りていたボロ屋を引き払い、父のいなくなった自宅へと戻って来た。


そして高校生活も3年生になり、『進路』という二文字がついて回るようになった…


思春期をただ、貧乏と家庭内暴力の制止で過ごしていた僕は…

若さもなく、ただひたすら音楽と夢想の毎日を過ごしていた。

大学進学!?  そんなお金はない。

学校の勉強も最早真剣に取り組む気も失せていた。

働かねば。


しかし、"進学校"というものは、"大学進学率"という実績が大事なのであろう。

担任教師との面談で、「働きたい、或いは働きながら専門学校へ行きたい」

と話しても、嫌な顔をされるだけだった。

そして、「新聞奨学生制度を利用して東京へ行き、予備校に通いながら浪人して大学へ行きなさい」と勧められた。


日々音楽ばかり聴いて、具体的な将来に対する展望も描いていなかった僕は、母親の、

「東京行ってきな。視野も拡がるし人生観も変わるよ」

の言葉に後押しされ、高校卒業と共に東京へ旅立つこととなった…