看護学校は、普通の大学とは違い、この講義出なくちゃ❗とかではなく、9時から17時までみっっちり講義が入っています。
(今思い返したら、本当によく頑張っていたなぁと心から思います今じゃ絶対にできない…)
寮生活もなかなか厳しく、門限は21時。
私が行っていた学校は田舎だったので、21時でも私は全然苦じゃなかったですけどね
ちなみに外泊は許可証が必要です
そのくらい管理されていた生活でした
クラスメイトは大半が高校卒業後の18歳。
数名が20歳だったり26歳だったり、少しお姉さんでしたが
みっっちりあった講義の1年を乗り越え、1年の終わり頃に実技やプレ実習が始まったりと、看護の世界に片足が浸かり出した頃、自分にはむいてない、講義と試験の繰り返しが辛い、ホームシック?等で、チラホラ退学者が出てきていたりで…。
そんな頃、クラスメイトの1人が妊娠した❗と
紆余曲折あって、そのクラスメイトが退学するまでに3度妊娠するのですが。。。
1度目の妊娠は、生理がこない…と妊娠検査薬をし陽性が出て、学校もまだ2年生が始まったばかりで、これから実習❗という時期で、迷わず中絶したようでした。
2度目の妊娠は…寮の共同のお風呂入ってると、そのクラスメイトが入ってきて、よく見るともっこりしたお乳が(もっこりって表現おかしいかもしれませんが、本当にもっこりだったんですよ)
もともと胸が小さくはなかったクラスメイトなのですが、2倍?3倍?くらいに膨れていました
妊娠の力は凄いなーと思いつつも、いやいやこれはまた妊娠してるでしょ❗どうするんだと思いながら見いってしまいました
湯船につかりながら、
『ちょっと痛くて…』
なんてハニカミながら?言ってたような記憶がありますが、そりゃそうでしょうよ❗というくらい、ビックリしたので覚えています
『もう妊娠してることはわかってるから、妊娠検査薬はしてない』
と言っていました。。。
20歳、若くても、2度中絶するリスクはそれなりにわかっていたようで、あまり聞かなかったけど、産むか産まないか迷っていたようです。
産むとなると、学校を休学か退学かしないといけない。
看護師になりたいけど、赤ちゃんを思うと迷う。
なんて勝手なことを言うんだろう…と、酷い言い方かもしれないけど、クラスメイトのことを心の中では軽蔑していました。
1度目は、避妊に失敗してしまった(かはわからないけど)のかもしれない。
でも2度目はもうないでしょ。
私たちは学生、自分でお金を稼げていない、親に頼って生きてる今。
絶対の絶対に気を付けないといけないでしょ。
思うところはあったけど、深い友達ではなかったので、何もいいませんでした。。。
それからそのクラスメイトとは、挨拶程度の会話くらいになりました。
その後、中絶できるギリギリで中絶したようで…、学校では実習が始まりました。
実習中は事前学習、朝から夕方まで実習、帰宅後はたくさんの記録、終わったら明日することの計画、そのことの事前学習…めまぐるしい毎日でした。
することが多くて時間が足りない❗、みんなそうだと思っていました、が…。
クラスメイト、まさかの3度目の妊娠
いやいやいやいやいやいやいやいやー…
直接本人から聞いたわけではなかったけど、呆れて声が出ませんでした。
実習のグループは違っていたし、普段仲良くしている友達でもなかったし、クラスメイトではあったけど、私には関係ないわで、何も声をかけることはありませんでした。。。
もう3度中絶するとなると、今後子供を望むことはできなくなるかもしれないから…と両親と話し合って、産むことに決めたそうです。
出産後、学校を続けられそうにもない(3年生が1番大変な時なので)とのことで、学校は退学。
退寮の日、クラスメイトの両親が来ていて、父親が、
『この子は親不孝者です』
と涙を流しながら言っていたと、友達から聞きました。
親も看護師になる姿をどれだけ楽しみにしていただろう…まだ20歳だったけど、親の気持ちを考えるとやるせない気持ちになりました。
私は絶対に看護師になろう❗と強く思いました。
そして、36歳になった今。
あの時出産した子供は16歳、もう高校生だそうです。
その後2人出産したらしく、3人のママになっていて、ご主人の実家でみんなで暮らしているそうです。
あの時の私は、看護師になることが1番大事なことでした。
志半ばに20歳で妊娠出産し、父親の親不孝者ですの発言もあり、私もその通りだなぁと思っていました。
親不孝者…は、今は私です。
あの時とは違う、やるせない気持ちです。
人生ってわからないものですね。