『資料館』に入ると、受付には誰もいない。


ピロリロ~ン、ピロリロ~ン♪


遠くで鳴り響く玄関チャイム、ほどなく現れたお爺さん。

「こんにちは(^.^) 見学に来ました!」
入館料100円を支払い、パンフをいただくと、


『野口雨情は、明治…o(^o^)o』


いきなり解説を始めたお爺さん、正真正銘の『カタリベ』です☆彡


私一人のために解説してくださるカタリベさんを前に、嬉しいやら恥ずかしいやら(^_^;)


「うんうん」「ほぉ~」「へぇ~」と、有り難くお話を聞かせていただきました(*^^*)


で、カタリベされて、覚えているのは…

東日本大震災の津波で、生家の屋根瓦が落ち、一階は床上浸水したが、
修復作業をした結果、築120年の建物が150年まで保つようになった。

というくだり。


他は、雨情の略歴や作品の紹介でした(^-^)


↑パンフレットより。


館内は撮影禁止。


エントランスの鴨居部分に、『赤い靴』『七つの子』『シャボン玉』などの代表作が、歌詞と解説付きでパネル展示されていました。


1つずつ全部読みました。



『七つの子』

この『七つ』は七才の子供のことなのか、七羽の子供のことなのか。

雨情が言及していないがために、長く論争が起こっている謎めいた歌詞。

ドリフターズによる替え歌が流行りましたが、ちゃんと歌詞を読みこんだことはありませんでした。




『シャボン玉』

私の元カレ『柳葉敏郎』さんが、1987年にソロ初アルバム『君の名は』でカバーされました♪

アカペラでしたが、『消えた』の音程がちょっぴりズレていたことを思い出しました(笑)


シャボン玉の歌詞については、七つの子同様、雨情が言及していないがために諸説あるようですが、
長女『みどり』ちゃんを生後7日で亡くした悲しい出来事がきっかけとの説が有力であると知り、
2番の歌詞『うまれてすぐに こわれて消えた』に人間の命の儚さを強く感じました。



他にも一曲ごとに思うことが多々ありますが、今回はここまで(^_^ゞ



靴を脱ぎ、お座敷に上がり、記念写真のパネルや直筆の原稿など、ゆかりの品々をゆっくりたっぷり鑑賞。


部屋の端に置かれたノートにメッセージを残しました(*^^*)

お座敷を降りると、カタリベさんが、北茨城のパンフをプレゼントしてくださいました♪

『塩屋埼灯台はギリギリ切れてますけど、いわきまで載ってますから(*^^*)』

「はい、これから、いわきに行くんです!」


世間話的なこと、何も話していないのに…たまたまですよね♪




時刻は10:50
「あと30分位で着ぐからね!」

駐車場から父に電話を入れて、いざ、いわきε=(ノ・∀・)ツ


一般道での福島県入りは初めてかも(*^^*)


六角堂、勿来の関、勿来海水浴場、小名浜…寄り道したいけど、今日はガマン! 




11:20 無事実家に到着☆彡

実家近くのマンホール、初めてちゃんと見た!


あーだこーだ、たくさん話し掛けてくる父。

うんうんと頷きながら聞き役に徹する私。


『先生が肉食えってうるせーんだ!』


近所のステーキやさんでランチしながらも、延々と続く父のあーだこーだ(^з^)-☆




13:00 母の待つ病院へ☆彡

転院して初めてのお見舞いだったので、父の運転で病院へ向かいました。
いつしか、青空が顔を出していました(^-^)


父は毎日この道で病院に通っています。


以前は車で20分以上掛かっていたお見舞いですが、近くなって本当に助かったと笑顔で話す父。

77歳の高齢ドライバー、同居の兄は心配していますが、車のない生活など考えられません。


8分ほどで、高台にある綺麗な病院に到着☆彡

ベッドに横たわる母、顔色は良かったけれど、もはや会話は出来ませんでした。

父と私の会話、聞こえているはず。

きっと、会話に入りたいはず。

何の連絡もなしに、突然お見舞いに現れた私を、母は、自分の末娘だと認識してくれたのでしょうか。


それらを確認する手段は、もはや残されていません。



父には「いわきで寄りたいところがある」と話してありました。


病室には15分ほどいたでしょうか。

『道子が行きでぇどころあるってがら、一回帰ってからまだ来っから!』

「出がげてから、またここさ来っかんね♪」


一旦母に別れを告げ、実家に戻りました。



父は、会話すら出来ない母の傍らで、毎日何を思って座っているのだろうか。

『生きているだけ、ただそれだけでいい』

そう思っているに違いない…


父の運転する車の助手席で、父の母に対する愛情の深さを感じながら、
母の優しい笑顔を思い出し、父に気付かれないよう、そっと涙を落としました。


『少し休んでがら行げよ~』


実は今回の帰省で、どうしても立ち寄りたい場所が数ヶ所ありました。

一番最後に母の病院に再訪できるように周遊しなければならないので、実家でゆっくりはしていられませんでしたが、
父の『梨でも食うが!』に応えて、冷蔵庫に冷やされていた埼玉の梨の皮を剥いてあげました(*^^*)


昔から、実家では、お風呂上がりには果物が用意されていました。

季節の果物、夏は梨、桃、ぶどう、メロンなど。

母が倒れるまで、おそらくずっと続いていたと思います。


梨を剥きながら、母が台所に当たり前のように立っていた頃を思い出し、また涙(T_T)


「全部じゃ多いがら、ラップしてしまっとっから、明日食べなね♪」

梨の半分は、すぐに食べられるようにこさえて、冷蔵庫にしまいました。


震災後3年目に新築して移り住んだ実家の庭には、父の家庭菜園があります。
料理は一切しない父、収穫した野菜はどうしているんだろう…


「このまま帰りに病院に寄って、ここさ戻ってこないで埼玉に帰っから(^o^)」


お父さん、ゆっくり話に付き合ってあげられなくて、ごめんなさい。





さて、行きたい所、全部回れるかしらε=(ノ・∀・)ツ



まずは実家から車で15分、いわき湯本の街へ。


15:00 『童謡館』到着☆彡
今まで幾度となくこの隣にある『足湯』に訪れていましたが、こちらはスルーしていました(^^;

野口雨情について調べた時に、いわき湯本に住んでいた時期があることを知りました。


湯本駅は高校時代にお付き合いしていた彼氏の家の最寄り駅。

湯本駅から江名経由いわき駅行きのバスが出ていたので、学校帰りに時々降り立っていましたが、
湯本駅の発車メロディが『シャボン玉』であることを、たった今、知りました(^-^;


その雨情ゆかりの地『湯本』に建てられたのがこの童謡館☆彡
足を踏み入れると、奥の方にご婦人が集っていました。

一人が応対してくださり、入口で入館者ノートに記入していると…

『あらあら、埼玉から~♪』

「実家がこっちなので。野口雨情の生家に寄った流れでここに来ました(*^^*)」

『実家は湯本?』

「豊間なんですけど、実家はなくなっちゃって、今は泉です(*^^*)」

『あらぁ…』

婦人は顔を少し曇らせました( ;´・ω・`)

同じいわきでも、震災による津波の被害が甚大だった豊間(とよま)は特別な地域なんです。


童謡が流れる館内を一回り、ここにも直筆の原稿や貴重な資料がたくさん飾られていました。

↑パンフレットより♪


童謡館のお隣、『とうりゃんせ』の橋を渡ると、足湯があります。

小雨が降る中、せっかくなのでちょっとだけ(*^^*)


時刻は15:30


先を急がねばε=(ノ・∀・)ツ





埼玉のジョニー♡