ロベール・デスノスの詩に「最後の詩」という、藤田嗣治の元妻だったユキへの恋文がある。

この詩にF.プーランクが作曲した同タイトル名の歌曲が残っている。

 

ユキとは、日本人画家藤田嗣治の妻だったが、デスノスがユキと出会ったのは1930年頃。

二人はたちまち恋に落ちてしまい、そのことを知った藤田は悩み、翌年1931年に日本へ

帰国してしまう。その後、ユキは藤田と離婚してデスノスの妻となった。

1940年にレジスタンス運動に加わったデスノスは、ドイツの占領に反してフランス人の精神

を鼓舞し続けていたが、1944年の2月にゲシュタポにつかまった。

連行後には様々な収容所に収監されたが、最後にはチェコのテレジン収容所へ送られて、

そこで死んでしまう。

テレジン強制収容所は1945年5月3日にソビエト軍によって解放されたものの、デスノスは

チフスに罹患しており6月8日に死去している。その時に書いたのがこの「最後の詩

(Dernier Poeme)」だった。

この強制収容所で自分の最期を知ったデスノスは最愛の妻ユキに、この世への

辞世の詩を最後の力を振り絞って、光のない影、それも百倍も薄い影のような存在

に衰弱している自分を感じ取りながら、書き綴ったようだ。タバコか何かの紙くずに

書きなぐったものらしい。

最愛のユキ(本名はリュシー・バドゥLucie Badoud、画家藤田嗣治と結婚、その際に藤田が付けたあだ名のYoukiが通称   となった)に、

届くかどうかも保証ない状況の作詞だった。

 

何故?ロベール・デスノスなのか。

ルトスラフスキLutosławskiの「歌の花と歌のお話(ロベール・デスノス作詞))」

Chantefables et Chantefleurs を次回、取り上げる準備をしていた。それは、

5月1日に東京芸術大学構内の奏楽堂にて演奏されるからだった。

同曲のCDは数点は手持にあったが、未聴分を2点買い求めていた。その中で

プーランクの作品を知り、ユキ藤田のことが気になり調べていたからだった。

         『ユキの回想』(河盛好蔵訳、美術公論社、1979年)

     ロベール・デスノス

 

 私は狂おしく夢に見た お前のことを

私は狂おしく歩き回り 狂おしく語り

狂おしく愛したのだ お前の幻を

もう私には何も残っていない お前のことは

残っているのはただ 影たちの中の影になることだけ

百倍も影らしい影となること どんな影よりも

影となって 行ってまた戻ることだ

太陽がいっぱいのお前の人生の中へと

                      (藤井宏行訳)

 

 ルトスワフスキ  歌の花と歌
1.弦楽合奏のための《葬送音楽》 (1958) 
2.ソプラノと管弦楽のための《歌の花と歌 物語》 (1990) 
     ソプラノ:浜田 理恵 Soprano: Rie HAMADA
3.《交響曲第3番》 (1983)

指  揮:ジョルト・ナジ(東京藝術大学音楽学部卓越教授)
管弦楽:藝大フィルハーモニア管弦楽団