テデスコは1939年にフィレンツェからアメリカに亡命している。

イタリア近代音楽の継承者として戦前には活躍していたが、ユダヤ人であったテデスコは

ムソリーニ政権のユダヤ人排斥運動の影響を受けて、仕事が出来ない状態に陥った。

ハイフェッツやトスカニーニ等の支援を受けて新天地アメリカに移住することになった。

 

アメリカでの生活は、映画音楽の作曲やテデスコの奥様が合唱を好んでいたこともあり

合唱曲や宗教曲などで生活の糧をえることができた。それにアンドレ・プレヴィン、ジョン・

ウイリアムズ、マーシーニなど作曲家志望の若い人たちの教育活動も活発的に行って

いた。

語学に堪能なテデスコは、歌曲など詩を用いた作品をアメリカの地でも多く作品を

残すことになった。

その関係もあり、最近ではアメリカ人による歌曲なども視野に入れて視ている。

コープランド、バーバー、アイヴズ、アイブスの歌曲集も努めて聞くようにしている。

今ではよぼよぼして指揮をこなしている、テデスコのお弟子のアンドレ・プレヴィンも

作曲活動をしていたが、彼の作品でルネ・フレミング Renee Flemingの伴奏をしてい

る「3 DickinsonSongs」もお気に入りの一つ。

その1曲目に、 悲しみのようにひそかに As Imperceptibly as Grief,がある。この翻訳を

さがしてであったのが、中島完さんという学者・詩人。この翻訳の中から選び作曲したもの

に「女声合唱組曲 自然と愛と孤独」(木下牧子)がある。木下牧子さんは、一時期日本歌曲

を聴いていたのでよく知っている作曲家さん。吉祥寺の井之頭公園を眼下に見て生活を

しているらしい。(現在は不明ですが、)    詩集番号は、J1540です。

日本語と英語へのアプローチの違いを聴き比べもいいもんだ。上記タイトルの本もそんな

経緯から必要となったモノ。

生きている限り、物や情報を収集してしまうのが、ネットワークをめぐらして生きる人間の

サガなのか。ちょっとさびしくもある。他人から見れば、ゴミとしか思えないモノでもやはり

自分には大切なものなんだ。

あの、、「捨てるぞ!(集めない)」という決意はいつも忘却してしまう。

上記の本も必要に迫られて手元に遊びに来てしまった大切な仲間。

枕にもならないけど、、。

 

       悲しみのようにひそかに:木下牧子

 

  As Imperceptibly as Grief(悲しみのようにひそかに);アンドレ・プレヴィン

Renée Fleming - Three Dickinson Songs (André Previn)

 

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悲しみのようにひそかに
夏は去った
あまりにひそかに
ついには 裏切りとは思えぬほどに―

 

遠く始まったたそがれのような
蒸留された静かさ
 ひきこもった午後を
 ひとり過ごす自然

 

夕暮はしだいに早くなり
朝は見知らぬ輝きを添える
立ち去ろうとするお客のように
丁重な それでいて胸を締めつける優雅さを―

 

こうして翼もなく
船に乗るでもなく
私たちの夏は軽やかに去った
美の中へと―                              

                                                 (中島完 訳)