De Profundis  Georges Rouault 

     デ・プロフンディス(深き淵より)


日経新聞の「美と美」シリーズには、7/3(日)及び7/10(日)に2回「日本人が愛した

ルオー」(上・下)が連載されていた。

苦悩と絶望の先にある救いを描いたフランスの画家ジョルジュ・ルオー。その作品が

日本でまとまって見られるのは、戦後名だたる企業経営者が熱心に作品を集めたか

らだ。彼らはルオーのどこに引かれたのだろう。   

ルオーが描いたキリストや道化師の顔は寂しい。そして、静かだ。

苦しみ、怒り、恨みを超越した深く穏やかな表情。それは宗教や文化のちがいを超え、

戦後日本を生きる芸術家の想像力の源となった。        

                               (「上・下」記事の前文より) 


◎出光興産の創業者で美術館初代館長の出光佐三。

 日本の伝統絵画や中国陶磁器の蒐集家。「事業や芸術化」をモットーとした。

 「真の芸術と真の事業とは、その美、その創作、その努力において相一致し、

 その尊厳とその強さにおいて相譲らざるものである。」とエッセーに書いている。

 ルオー作品を入手する仲介役には、吉井画廊の吉井長三が絡んでいた。

◎松下電工の三好俊夫

 輝くような色彩の晩年に感銘を受けた三好は、ルオーが最期までアトリエにおい

 ていた 風景画20点を購入している。「聖書の風景」「避難する人たち」など。

 これがパナソニック汐留ミュージアムの所蔵品となっている。


ルオーさんは、昨年暮れにも出光美術館で「~内なる光を求めて」が開催されて

いた。でも、出不精だったので逃してしまった。ただ、以前に出されていた

「没後50年 ルオー大回顧展」の図録だけは入手したかった。それもしなかった。


ルオーに共鳴していた作家には遠藤周作がいた。彼自身もルオー作 《聖顔》を所蔵

していた。現在は、玉川学園に在住していた関係でご遺族が町田市民文学館に寄贈

した。 (「聖顔」というタイトル名の絵画は、その他数点以上はあるらしい。)


遠藤周作がいう。
「私たちと手をつないで共に歩んでくれる同伴者としてのイエス。ルオーの絵の

キリストからは、母のような優しさが伝わってくる」

ルオーの描くイエスは、母性愛に満ちた母なるイエスであり、娼婦や道化師の顔に

イエス・キリストの慈悲を、キリストのまなざしには社会の底辺にいて貧しい生活を送る

人々の悲しみを描きだしたルオー。狐狸先生はこんな風にルオーの絵に共感・共鳴して

いたんだろう。

ルオーの最晩年の「聖書の風景」には、遠藤氏は夕暮の街や人生と人間を想い、

そこにキリストの眼差しが重なってくるようだ。だから「深い河」にもルオーが登場して

くる。遠藤氏の作品には人間の魂の底にある「何か」を書き続けていたんだろうか。


人の無意識のうちにある魂の渇望に応えるものが欲しい。そう安らぎを感じさせら

れるものがルオーの絵画にはある。


デ・プロフンディス(深き淵より)というクレーメルが収録したCDも心の慰めになりそう。

今夜の夕食の友は、これだ。神聖な食事には「ONE コイン・ワイン」 が相応しい。


狐狸先生は、ルオーの「デ・プロフンディス(深き淵より)」を初めて見たときには、

「この絵の全体に漂っている言いようのない静けさは一体、なんだろう」と

自問自答したと書いている。

                     (エッセイ集『冬の優しさ』の「ルオーの中のイエス」)





       
                   《聖顔》 1939年                                   「道化師」1938-1939