この文庫本の改訂版のキャッチコピーに『人生に二度読む本』とあった。

愛とか孤独、家族をテーマとする小説だが、昭和30年代後半(1960年代)に書かれたもの。

福永の書籍は内容は殆ど覚えていないが20歳前半に読破していたと思う。

「草の花」「風土」「海市」「廃市」(映画化されている。)「死の島」「ゴーギヤン」「ボードレール

の世界」や、「芸術の慰め」という美術評論もあった。


ある作家に関心が向けば、集中的に読む・観るのが俺の読書方法。だから、おそらく1980年

前半にこれらの本を読んだんだろう。

「人生に二度読む本」とは、若い時と熟年になって読後の感じ方・捕え方を比較することで

また自分の成長の有無を自覚することでもあろうか?

今まで再読したのは、「草の花」「風土」etc.。風土だけは3度+αは読んだかもしれない。

ゴーギヤンの絵をめぐり展開するので結構、まはっていたからだ。


初期の小説は、インテリの文体文章であまり好きではなかった。フランス語の単語が

やたらと出てるんだ。フランス文学の解説じゃないんだから止めて欲しいとか思っ

たもんだ。

 ----「忘却の河」

過去の事件に深くとらわれる中年男(父の藤代)、彼の長女(美佐子)、次女(香代子)

病床にある妻(ゆき)、若い男(長女の恋人、三木先生美術評論家)が7章をそれぞれの

登場人者が独白する形式。

長編小説ではあるが、発表したのは独立して別々の雑誌に書いていた。

若いころ、やむにやまれぬ事情から愛する女を死なせてしまい、以後、自分が生きてい

ることは罪ではないかという思いに縛られ続けている、初老の会社社長で父の藤代。
冷淡な夫に失望し、愛のない結婚生活を続けたのち、今は寝たきりになっている藤代の妻。
母親の介護に追われて婚期を逃しかけ、妻子ある男にひそかに惹かれている長女。
自らの出生に暗い疑惑を抱き、両親のようにはなりたくないと愛情を求めて得られない次女。
彼らが各章ごとの主人公として入れ替わり、それぞれの内面を読者に提示し、やがてひとつ

の物語が完成するという構成になっている。


愛の挫折とその不在に悩み、孤独な魂を抱えて救いを希求する家族の在り様がテーマ

で、「子守歌」が家族の絆の存在を確認する仕掛けであった。でもストリーがあまりにも暗い。

最後には救済されるものの。

さすがに文体はいつ読んでも名文であり、この小説の構成はほかの作品に比べて成功して

いると思った。嫡子である池澤夏樹が文庫本改定版の解説に書いていたが、日本の社会の

在り様が40年以上も経過して読み続けられるテーマなのか、受け入れられるものなのかと

提言して、やはり読み続けられるだろうと書いていた。。 推薦文のようなものだから当然では

ある。

逢・孤独・家族は永遠のテーマであることは間違いない。ただ、福永を読む年代層はやはり

昭和時代の人という限定がつくのかもしれない。

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玩草亭百花譜―福永武彦画文集 (1983年)というものが3巻で出版されて直ぐに

買い求めたことを覚えている。未来社の当時編集長、小箕俊介さんに依頼して

5%?引きで購入してもらった。

福永が結核で療養生活を強いられていたころに草花を水彩画でスケッチしたもの。

10年後には文庫として出ているのを最近知った。

ところでこの「ボタニカル・アート」ともいうべき画集は何処に保管しているんだろうか?

引っ越しの時にはあったようだけど、ゴミ部屋の一番下のダンボールにでもあるんかな?