ブログのアクセス解析機能にある「検索ワード」に「望郷のバラード」といのがあった。
天満敦子さんの「望郷のバラード」の記事が引っ掻かたんだろうか。天満敦子さんのCDを

さがしだして聴いている。「祈り」というタイトルのもの。


祈りというとどうも宗教的な匂いがプンプン湧きでてきそうなのが嫌い。

鷲田清一さんの頭を借用して考えてみることにした。

彼の著作でブレイクしたのは、書籍 『「待つ」ということ』だった。出版されたのが、2008年?

だったか。図書館で彼の著作ファションのモードとか周辺のものを読んだと思う。

ファッション関係にはいたく疎い。

  
「待つ」ということの意味と大切さを深く掘り下げ、検証している。現代人、特に自分には

「待つ」ことなんって、非常に不得意である。ましてや神に祈ることなんて全く不可能である。

しかし、宗教曲や祈りに関する文字なら興味がある。


鷲田清一は言う。

自分の力ではどうしようもないことが起きたとき、人はただ待つことしかできない。

はぐらかしたり、慌ててなにかをしかけることなく、ただひたすら「待つ」。

期待を膨らませることなく「待つ」。

人の本音を聞くというのは、「待つ」ことであり、「待つ」ことは「祈り」につながると、

「なにかの到来を待つという営みは、結局、待つことを放棄したところからしか始まらない。

待つことを放棄することが、それでも待つことにつながるのは、そこに未知の事態への

何らかの『開き』があるからだ」と言う。

現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。私たちは、意のままに

ならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性を

なくしはじめた。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがう、未来というものの訪れを待ち

うけるなど、「待つ」という行為や感覚からの認識を、臨床哲学の視点から考察。

この本は良くできている。拝読した時には、現代人の病理分析になっていて感心したもの。

それから、少しだけ「待つこと」や「祈り」の効用を感じてきたような気がする。


さて図書館に行って、紹介図書の先駆けとなった書籍『「聴く」ことの力』を借りて読んでみよう

か。この本を以前に読んだかどうか殆ど記憶にない。   (汗;;)


「祈り」  ユダヤ人の生活からFrom Jewish Life for Violoncello and Gitar

             Cello Guitar Duet Duo Vitare