2008.10.4.チラシ
檜のぬくもりと香りに包まれて過ごす、極上のとき
     というコピーに惹かれて昨日の午後に真鶴に行ってきた。

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下山静香ピアノリサイタル  <樹々の声・海の音楽
(日 時) 2008年10月4日(土)14:30~

(会 場) 檜チャリティコンサートホール

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                    ホールから真鶴湾の眺望

                       音楽ホールからの眺望



ホール内部

  檜の香り と 優しい木の感触
                                       アンコールに応えて
                                           アンコールに応えて


真鶴、伊豆半島を眺望できる高台に建立された檜造りの音楽ホールでの演奏に因み樹・海」をコンセプトに選曲された曲目がきちっと座りよく並んでいる。文学・音楽の素養をフルに援用した企画モノの演奏会であった。

演奏者のレクチャーが懇切丁寧に作品のことなどを説明しながら進行していた。う~ん、わかりやすかったです。


 こういう企画ものは、選曲の意図や背景を解説パンフ、レクチャーでしてもらわないとその真意が伝わらない。音のみの勝負では聴き手にイメージが沸かない。

企画者程度の知識(実際には同様な素養など持てない)があれば、逆に作品の解説など邪魔になるのだろうけどネ。


檜の香りを身体の全身に浴びながら、「森・樹・海」に纏わる音楽を堪能することができるなんて、幸せである。

音楽ホールの眼下には真鶴港と伊豆半島、海の景色が眺望できる「トポス」で、このような贅沢は雑踏の都市では決して味わえない。



          (演 目)
クープラン :恋のナイチンゲール 
シューマン:数曲                    「森の情景」より 
シベリウス:樅の木(The Spruce)      「5つの小品(樹の組曲)」op.75より
アルベニス:入江のざわめき 海辺にて       「旅の思い出」から    
        港(エル・プエルト)            「イベリア」から

ラヴェル:悲しき鳥
チャイコフスキー:舟歌
ドビュッシー:前奏曲集 第1巻 第7曲 西風の見たもの
        前奏曲集 第2巻 第8曲  水の精
         喜びの島


           アンコール

    ショパン:ノクターン遺作 嬰ハ短調  映画「戦場のピアニスト」挿入曲
    マテオ・アルベニス:ソナタ      
 (CDの紹介を兼ねて)




            愛聴している作品のこと

樹の組曲」という愛称は日本の舘野泉氏によるもの。①ピヒラヤの花咲くとき ②さびしい樅の木 ③ ポプラ ④白樺の木 5番目に「樅の木」がある。次回にシベリウスを取り上げる際には全曲を聴きたい。 この作品には、すべて木に関する標題が付けられている。この作品(樅の木)にはちょとした逸話がある。

美智子皇后陛下が失語症になられたとき、皇居をお訪ねになった舘野氏のシベリウスをお聴きになった後に皇后陛下はご自身でもピアノを弾かれた。こ
れがこの「樅の木」で、舘野氏が来られたその時にも少し回復して、更に翌日にはもっとお声がお出になり始めたという。(彼の最近の著作だったか?)

「樅の木」は、シベリウスの母国のフィンランドでは特別に親しまれている曲。フィンランドは現在でも国土の約70%が森林地帯(ブラジルに次ぎ、世界第2位)であり、樹木は生活と切り離せないものである。特に樅の木は『クリスマスツリーの木』として親しまれ、フィンランドサウナや建築の材料として使用されている。この美しい曲からも、フィンランド人のシベリウスの「森・樹」に対する想いや愛情が伝わってくるかのようである。            (シベリウス好き ドキドキ なので長くなってしまった。)


        <追加コメント>10/05深夜

ブログの調子が悪くて記事内容を途中で断念してしまった。フィンランドは羨ましい、地方の自然を残すべきだ!とかの主旨で上記の論理は成り立っている。そんな単純なものでよいのだろうか?

都心でも、皇居や赤坂御所には、大自然を感じさせる樹木が鬱蒼と茂っていた。このエリアの前家主が天麩羅そば?だったか食べたいと思い、直接出前を頼んだことをどっかの本か雑誌の記事を思い出した。

そうだ。自分も納入業者に近い関係で通常は「立ち入り禁止」の秘境に入ったことがあった。(オレって、出前屋・庭師・樹の鑑定士?)


**さまや現家主の関係で目をテンになりながら、何かしたこともあったけな。

明治神宮を徘徊したときに感じた同様な異郷以上の空間がそこにはあったと、、。太古から永遠に停止した「空気と時間」が外界の喧騒など関係なく、そこには異質な時空が存在しているかのようにただ「在る」だけ。人間の手を媒介した人工的なモノを超越した「何か」が漂っていた。

メトロも遠慮して穴を掘れないなにかがあるのだろう。誰か(中沢しんちゃん・犬ちゃん?)が「日本の中心地であるそこには、日本のブラックホールがある」とか、無責任に書いていた。


今度は、日本の原初的な「音」を聴くのも悪くはない。地方や遠方にはない、都心空間を満たす「ノイズ」的な何かを見つめてみよう。