6年ぶりに東京へ行く。
日程は土日の2日間。
土曜日、6時前に家を出る。
最寄りの駅の駐輪場に自転車を置く。
不安だが、戻りの時間を考えるとこうするしかない。
朝6時5分の電車で新大阪駅へ。
新大阪駅で30分。
朝7時15分、新大阪駅発ののぞみはほぼ満席だった。
途中、くもっていた富士山をなんとか見る。
朝9時45分、東京駅到着。
まず、東京駅をうろうろ。
駅の中にいろいろできているら。
ただまだ時間が早すぎた。店があいていない。
中央線の快速で新宿駅へ。
車両も変わった気がする。
東京、1食目。
新宿の桂花ラーメンの「太肉麺」。
東京のラーメンといえば自分のとって「桂花」。
熊本ラーメンでも。

よくいっていた店はしまっていた。
少し離れた地下の店に行く。
太肉麺の問題は、食後にのどが乾くことである。
新宿駅まわりを1周。
東口もいくつか、ビルが消えている。
通った沖縄そばの店も消えている。
東口にも店が増えている。
あの映画館が消えていた。
でも変わらない店もある。
東口から南口、それから西口方面へ。
西口の駅ビルがなくなっていて驚く。
西口のあったあたりに向かう。
よくわからない階段を降りると、見たことがない通路がある。
通路の真ん中に改札があった。
あの西口はもうあとかたもないらしい。
新宿からは中央高速で国分寺へ。
今回の目的であるT大学に向かう。
ところが、最寄りを国分寺駅と勘違い。
武蔵小金井駅」から行く予定だったのに。
でもわざわざ武蔵小金井駅に戻るより、歩いていったほうが早そう。
見たことない町をそろそろ歩いていく。
早稲田の高校ってこんなところにあるんだ。
連雀通り?ってあの三鷹にあった通りではないか。
20分近く歩き、無事T大学に到着。
今回のイベントに無事参加する。
大学の同級生たちとも久しぶりに会う。
帰りはバスで武蔵小金井駅へ。
中央線快速で新宿へ。
新宿で黄色い電車に乗り換え。
秋葉原で山手線に乗り換え。
本日の宿は、上野のカプセルホテル。
カプセルホテルも随分久しぶり。
一般のホテルは高すぎて、取れなかった。
入ってまず、靴をロッカーに入れる。
靴のロッカーの鍵を預け、今度は別のロッカーの鍵をもらう。
個人の荷物用ロッカー。
でも細すぎて絶対バッグは入らない。
上着と貴重品を入れ、ガウンとタオルをもらう。
とりあえずカプセルのある部屋に入る。
バッグをカプセルにいれ、部屋で着替える。
お風呂は意外と快適だった。
そしてカプセルに潜る。
やっぱりせまい。着替えるのが苦しい。
そして私の体型では、出入りもむずかしい。
扉はカーテンのみの性善説設計。
充電しなければならないアップルウォッチ、スマホだけカプセルに持ってきた。
せまいことより問題は、異常に静かなことである。
音を出せない。少しの音でも神経を使う。
すっかりつかれた。
朝目覚めて、支度をして、早々にホテルを出る。
ここで問題。
ロッカーから上着と貴重品を出したのに、ロッカーの鍵がない。
さんざんさがしたがみつからず。
フロントにおそるおそるいう。
でもロッカーに鍵がささったままになっていたらしい。
親切な人が届けていてくれていた。
7時、カプセルホテルを出る。
まずは上野駅。
東京の味、2つめ。
コロッケそばである。
富士そばがいいが、別にどこのそばでもいい。
コロッケそばは小学生の時、池袋で食べていた思い出の味である。

上野駅に行くと、国府津駅行きがあった。
おかしいな。まだ上野東京ラインになれない。
6年前もあったはずが。
そのまま乗っていく。
外国人が迷っていた。そりゃ迷うだろう。
品川駅で山手線に乗り換え。
渋谷に出た。
渋谷駅のまわりを1周。
渋谷の駅ビルもなくなっている。
そして見たことがない通路ができている。
渋谷駅に戻ると案内板に「海老名」行きの名前がみえた。
渋谷から海老名?また変なものをみた。
これが相鉄線直通か。せっかくなので乗る。
大崎をすぎると、すごいすいてきた。
でも途中から乗ってくる。
海老名は遠いから、途中の西谷で折り返す。
今度は西高島平行きが来た。
目黒線軽油、三田線乗り入れだった。
そのまま神保町まで乗る。
神保町では本屋を物色。
三省堂も、書泉ブックマートも、なくなっていた。
三省堂は場所を変えて仮営業しているらしい。
裏道の内山書店でいろいろ惹かれる。
しかし荷物は持って帰れない。残念。
神保町からなじみの、坂を上がる。
カザルスホールも、大学の建物になっていた。
明治大学にこんな建物だったっけ。
御茶ノ水駅も激変の途中だった。
上野に戻る。
東京の味、3つ目。
ねぎしの「牛たん」。
新宿西口の店によくいったが、他の支店でもよい。

上野公園に行く。
長い長い階段を登る。
上野公園は人でいっぱいだった。
国立博物館へ行く。
「蔦屋重三郎展」を見る。
大河ドラマに出てきた本や絵の、本物が見られる。
中は混んでいたので順番は無視。すいているところから見ていく。
江戸の人たちは文字がどれだけ好きだったんだろう。
浮世絵も楽しい。
東洲斎写楽の絵もしげしげと見る。

次は池袋。
ここも東口から西口にまわる。
あまり変わっていなかった。
つづいて丸ノ内線。
東京駅からJR。
秋葉原に行く。
やっぱり東京に来たからには。
駅前で、多くの人がたむろしている。
右翼が演説をしているが、だれも動かない。
知っている店はほぼ見つけられず。
京浜東北線で新橋。
東京で過ごした原点の町。
一番最初に働いたビルも、まだそのままだった。
仕事中に逃亡した本屋はなくなっていたが。
駅の前のビルもあまり変わらないが、駅前ビルはますます怪しい。
銀座線と、東西線で高田馬場に出る。
ここが一番外国人が多い。
ベンチに座りいろいろ観察しながら、友人を待つ。
東京の味、4つめ。
ミャンマー料理。これも6年ぶり。
しかし美味しさは変わらない。
ラペトゥ、トーフジョー、〇〇ヒン。春雨と牛肉。最後にごはん。
店は一度いっぱいになり、いなくなり、まだいっぱいになった。
最初は日本人、次はミャンマー人。食べる時間が違うのかな。



さいごにコメダ。
これは大阪にもあるけれど。
クロネージュでしめる。
東京の味かな。

最後に山手線で新宿。
パスタ新宿へ行く。
じめてバスタ新宿へ。
今回は夜行バスで大阪にかえる。
バスは3列。
ところが左列と中列の間が異常にせまい。
これは途中トイレ無理そう。
トイレを考えて右列の席すればよかった。
そして窓は暑いカーテンで閉じられている。
外の夜バスの景色を見たかったのに。
これではただ寝るしかない。
3列とはいえ、座席はせまい、自分の幅のせいもあるが。
22時20分、新宿駅を出発。
途中府中、八王子と経由。
このまま中央道でいくのかな、と思ったら東名へ。
入ってすぐの中井インターでトイレ休憩。
これで助かった。
無事トイレをすませ、体を伸ばしておく。
0時30分、中井SAを出発。
大阪のOCATには7時8分到着予定。
約6時間半、体を動かせない。
寝ることは寝た。ところが何度も何度も起きる。
そのたびにスマホで場所を確認する。
ルートは途中から伊勢湾道に新名神。。
運転手の休憩で2回とまる。その時もおきてしまった。
朝5時ごろ、京都駅に到着。
ここまで来ると、ほぼ帰ってきた感じ、
続いて東梅田。
そして大阪OCATで降りる。
予定より50分も早く、6時20分ごろにつく。
だいぶ助かった。
6時40分のJRなんば駅発に乗れた。
駅の駐輪場には自転車がまる2日間、おきっぱなしになっていた。
駐輪代は450円。
でも無事にあってよかった。
7時過ぎ、自転車で家まで帰る。
東京の感想。
人が多い。とにかく多い。
大阪も多い。けれど東京のほうが多い。
なれていないせいもあるかもしれない。
人でつかれる。
そして東京は赤の他人といる「心地よさ」がある。
東京は働くために人がいる町である。
大阪とはそこが違う。
私が東京にいたのは1990年代。
いまから約30年前か。
かつて自分が住んだ高砂や三鷹、そして高砂からよく足を伸ばしていた柴又、三鷹から最寄りの吉祥寺には、今回わざといかなかった。時間の関係もあるけれど。
もう自分はすっかり東京ではよそものである。
よく東京から出る気になったものだ。26年前の自分に思う。
あのまま東京にいて、仕事をしていたら。2025年も当たり前のように、東京にいたのだろうか。
いろんな店を食べ歩きしながら。町をあるきながら。ブログでつぶやきながら。
何度も韓国に旅行して、やっぱり韓国に住んでみたかったと後悔しながら。
なかった人生を考えてもしょうがないけれど。