教育的にはろくでもない母ではあったが、たまにはためになったこともある。

それは小学校4年生の夏休みの最後あたりの日であった。

母が1冊の本を買ってきたのである。

それは子供向きではない、初めての「大人」の本だった。

「船乗りクプクプの冒険」。

買ってきたのはたぶん母の気まぐれである。

しかしこの小説、子供向けではないとはいえ、だいぶぶっ飛んでいる。

作品に作者が登場人物として出てくるというのにも驚いた。

しかしそれ以来、北杜夫のファンになり、大人の本、いわゆる小説を読み出すきっかけとなった。

そして彼の旧制高校時代のエッセイはくり返し読んだ。

おかげで家元を離れて寮、といっても宿舎生活をするはめになった。

お母さん、地元の大学にいかなかったのは、あなたのせいです。

 

朝ドラの「あんぱん」にも脚本家が自身が子どもとして主人公にあうシーンがあった。

それがだいぶ批判されているという。

しかしそれこそ「原作者」の特権だろう。

実際、脚本家か、あるいは脚本家の母がモデルになった主人公に手紙を送ったことがあったらしい。

そんなエピソードがあって、主人公のドラマの原作を書く。

そんな機会があれば、自分を登場させるのは当然ではないか。

創作者の夢である。

私ももし同じ立場なら、作品の中で必ず北杜夫に会いにっているだろう。

それを批判するならば、自分が原作者になってみればいい。

私もドラマでそのシーンをみたが違和感はなかったし、実際だいぶ創作は入っているだろう。

だからこそ原作者の思いが伝わってよかった。

 

ちなみに朝ドラの「あんぱん」は9月から見はじめた。

前半いろいろあったようだが、登場人物やエピソードが出てきて色々想像している。

 

韓国での8月15日は、祝日である。光復節。クァンボッチョル。

「独立」という光が戻ってきた日。特別なお休みである。

20年前になるが、ソウル市庁舎の外壁が韓国の国旗で埋め尽くされたときは、びっくりした。

もし都庁が日本のナショナルデーに、日章旗で覆われていたら、おどろくだろう。

 

かつて、この日は「日本人は大声で日本語を話してはいけない」と言われた。

しかし韓流ブームで日本人がたくさんやってくると、8月15日に関係なく韓国で日本語を大声で話すようになった。

それで特に大きな問題はなかった。

韓国人の意識が変わったのか、そもそも杞憂だったのだろうか。

一番驚いたのは数年前のこと。

有名なタプコル公園近くの映画館で、8月15日に日本映画が上映されていたことである。

たしか「ウォーターボーイズ」だったと思う。

日本映画が少しブームだったこともあるが、それだけもう気にしなくなっていた。

 

それでもやっぱり自分は身構えてしまう。

ソウルで大声の日本語を聞くと、はらはらする。

今年のソウルの光復節は、どうだろうか。

3連休だし、日本に旅行している人も多いかも。

光復節に日本旅行することについて、韓国の某サイトのアンケートでは、回答のうち「不適切」が約29%、「気にしないが、社会的には敏感」が約29%、「個人的な自由で問題がない」が約19%、「他の旅行先を考えなければならない」が約13%。「考えたことがない」が約9%。気にしない人が思ったよりも多かったが、気にしている人も多い(建前的な回答も韓国ではよくあるけれど)。この期間の日本旅行をSNSにあげることは、まだ神経を使うかもしれない。ちなみに同じアンケートで光復節に「日本旅行」を考えている人は約10%だった。自分から見て、だいぶ増えている感じである。

 

 

 

北朝鮮の兵士が、走って38度線を超えて、韓国に亡命する。

もちろん、普通に走れるわけがない。噂では地雷でいっぱいらしい。

でも実際に走って逃げた人がいた。

その人の話をモデルにした韓国映画。

登場人物のキャラクターは別にして、北朝鮮の軍隊の話はかなりリアルである。

脱走のきっかけが「韓国のラジオ」というのがいい。

ラジオの電波は軽々と38度線を超える。

そして受信機があればラジオは聞こえてしまう。

しかも同じ韓国語である。

内容も政治的なプロパガンダではない。庶民の悩み話である。

そんな話を北の兵士がこそっと警備の間に聞いている。と思っただけで泣けてくる。

さらに音楽。

この音楽はずるい。

ジオンTの「ヤンファテギョ(楊花大橋)」。

ヤンファテギョ!漢江にかかる橋である。ソウルでも西の方。

ほんとうは映画のタイトルにしてほしいくらい、いい。

この曲を聞いて、彼は脱北をほんとうに決意したのか。

ほんとうにあんな上司がいたのか。放浪する集団がいたのか。わからない。

そして無事脱走できたのか。

あこがれの「ヤンファテギョ」にいけたのか。

 

面白いのは映画の上映後に特別映像で日本人の観客向けに登場人物2人がでてきて挨拶したことである。

舞台挨拶ともちょっと違うが、いいなと思った。

こんなこともなかなかない。

 

 

 

オリジナルは台湾映画。

日本でもリメイクされている。

韓国での原題は「その時節、わたしたちがすきだった少女。」

邦題では「少女(ソニョ)」が主人公の名前「ソナ」になった、

韓国版の舞台は2002年の春川。

ちょうどワールドカップが終わったあとから始まる。

この2002年というのが泣かせる。
あのとき韓国にいた自分には雰囲気がわかる。
アイフォンじゃないケータイの頃。当時の音楽。一気に頭によみがえる。
筋はリメイクだからだいたい知っていたが、リメイクを感じさせないぐらい、違和感がない。

韓服を着るシーンもさり気なく入れている。
やっぱり高校の時に好きだった人というのは永遠のテーマなのか。
みているうちにおもだした。男子校ルサンチマン。

自分は男子校だからそんな話はまったくなかった。

かといって好きな男の子もいなかった。

だからリメイクされるたびにくやしくなる。

なつかしい、はない。くやしい。
リメイクだけどエンディングを変えたりして。と思っていたが、大丈夫だった。

原作者は、何度も自分の思いがリメイクされて、たまらないだろう。

TWICE のダヒョンはすましているとちょっと大人っぽく見える。

でもさまざまな表情は高校生や大学生らしくて良かった。

 

映画のグッズもよかった。

大学入試の受験票らしいネームプレート。

まるで彼女の受験票を手に入れて落書きしたようなスタイル。

 

 

第2外国語は日本語。そのシーンはなかったけれど。

住民登録番号で誕生日がわかる。

 

 

6年ぶりに東京へ行く。

日程は土日の2日間。

土曜日、6時前に家を出る。

最寄りの駅の駐輪場に自転車を置く。

不安だが、戻りの時間を考えるとこうするしかない。

朝6時5分の電車で新大阪駅へ。

新大阪駅で30分。

朝7時15分、新大阪駅発ののぞみはほぼ満席だった。

途中、くもっていた富士山をなんとか見る。

朝9時45分、東京駅到着。

 

まず、東京駅をうろうろ。

駅の中にいろいろできているら。

ただまだ時間が早すぎた。店があいていない。

中央線の快速で新宿駅へ。

車両も変わった気がする。

 

東京、1食目。

新宿の桂花ラーメンの「太肉麺」。

東京のラーメンといえば自分のとって「桂花」。

熊本ラーメンでも。

よくいっていた店はしまっていた。

少し離れた地下の店に行く。

太肉麺の問題は、食後にのどが乾くことである。

 

新宿駅まわりを1周。

東口もいくつか、ビルが消えている。

通った沖縄そばの店も消えている。

東口にも店が増えている。

あの映画館が消えていた。

でも変わらない店もある。

東口から南口、それから西口方面へ。

西口の駅ビルがなくなっていて驚く。

西口のあったあたりに向かう。

よくわからない階段を降りると、見たことがない通路がある。

通路の真ん中に改札があった。

あの西口はもうあとかたもないらしい。

 

新宿からは中央高速で国分寺へ。

今回の目的であるT大学に向かう。

ところが、最寄りを国分寺駅と勘違い。

武蔵小金井駅」から行く予定だったのに。

でもわざわざ武蔵小金井駅に戻るより、歩いていったほうが早そう。

見たことない町をそろそろ歩いていく。

早稲田の高校ってこんなところにあるんだ。

連雀通り?ってあの三鷹にあった通りではないか。

20分近く歩き、無事T大学に到着。

今回のイベントに無事参加する。

大学の同級生たちとも久しぶりに会う。

 

帰りはバスで武蔵小金井駅へ。

中央線快速で新宿へ。

新宿で黄色い電車に乗り換え。

秋葉原で山手線に乗り換え。

 

本日の宿は、上野のカプセルホテル。

カプセルホテルも随分久しぶり。

一般のホテルは高すぎて、取れなかった。

入ってまず、靴をロッカーに入れる。

靴のロッカーの鍵を預け、今度は別のロッカーの鍵をもらう。

個人の荷物用ロッカー。

でも細すぎて絶対バッグは入らない。

上着と貴重品を入れ、ガウンとタオルをもらう。

とりあえずカプセルのある部屋に入る。

バッグをカプセルにいれ、部屋で着替える。

お風呂は意外と快適だった。

そしてカプセルに潜る。

やっぱりせまい。着替えるのが苦しい。

そして私の体型では、出入りもむずかしい。

扉はカーテンのみの性善説設計。

充電しなければならないアップルウォッチ、スマホだけカプセルに持ってきた。

せまいことより問題は、異常に静かなことである。

音を出せない。少しの音でも神経を使う。

すっかりつかれた。

朝目覚めて、支度をして、早々にホテルを出る。

ここで問題。

ロッカーから上着と貴重品を出したのに、ロッカーの鍵がない。

さんざんさがしたがみつからず。

フロントにおそるおそるいう。

でもロッカーに鍵がささったままになっていたらしい。

親切な人が届けていてくれていた。

 

7時、カプセルホテルを出る。

まずは上野駅。

東京の味、2つめ。

コロッケそばである。

富士そばがいいが、別にどこのそばでもいい。

コロッケそばは小学生の時、池袋で食べていた思い出の味である。

 

上野駅に行くと、国府津駅行きがあった。

おかしいな。まだ上野東京ラインになれない。

6年前もあったはずが。

そのまま乗っていく。

外国人が迷っていた。そりゃ迷うだろう。

品川駅で山手線に乗り換え。

渋谷に出た。

渋谷駅のまわりを1周。

渋谷の駅ビルもなくなっている。

そして見たことがない通路ができている。

 

渋谷駅に戻ると案内板に「海老名」行きの名前がみえた。

渋谷から海老名?また変なものをみた。

これが相鉄線直通か。せっかくなので乗る。

大崎をすぎると、すごいすいてきた。

でも途中から乗ってくる。

海老名は遠いから、途中の西谷で折り返す。

今度は西高島平行きが来た。

目黒線軽油、三田線乗り入れだった。

そのまま神保町まで乗る。

 

神保町では本屋を物色。

三省堂も、書泉ブックマートも、なくなっていた。

三省堂は場所を変えて仮営業しているらしい。

裏道の内山書店でいろいろ惹かれる。

しかし荷物は持って帰れない。残念。

 

神保町からなじみの、坂を上がる。

カザルスホールも、大学の建物になっていた。

明治大学にこんな建物だったっけ。

御茶ノ水駅も激変の途中だった。

 

上野に戻る。

東京の味、3つ目。

ねぎしの「牛たん」。

新宿西口の店によくいったが、他の支店でもよい。

 

上野公園に行く。

長い長い階段を登る。

上野公園は人でいっぱいだった。

国立博物館へ行く。

「蔦屋重三郎展」を見る。

大河ドラマに出てきた本や絵の、本物が見られる。

中は混んでいたので順番は無視。すいているところから見ていく。

江戸の人たちは文字がどれだけ好きだったんだろう。

浮世絵も楽しい。

東洲斎写楽の絵もしげしげと見る。

 

次は池袋。

ここも東口から西口にまわる。

あまり変わっていなかった。

つづいて丸ノ内線。

東京駅からJR。

秋葉原に行く。

やっぱり東京に来たからには。

駅前で、多くの人がたむろしている。

右翼が演説をしているが、だれも動かない。

知っている店はほぼ見つけられず。

 

京浜東北線で新橋。

東京で過ごした原点の町。

一番最初に働いたビルも、まだそのままだった。

仕事中に逃亡した本屋はなくなっていたが。

駅の前のビルもあまり変わらないが、駅前ビルはますます怪しい。

 

銀座線と、東西線で高田馬場に出る。

ここが一番外国人が多い。

ベンチに座りいろいろ観察しながら、友人を待つ。

 

東京の味、4つめ。

ミャンマー料理。これも6年ぶり。

しかし美味しさは変わらない。

ラペトゥ、トーフジョー、〇〇ヒン。春雨と牛肉。最後にごはん。

店は一度いっぱいになり、いなくなり、まだいっぱいになった。

最初は日本人、次はミャンマー人。食べる時間が違うのかな。

 

さいごにコメダ。

これは大阪にもあるけれど。

クロネージュでしめる。

東京の味かな。

 

最後に山手線で新宿。

パスタ新宿へ行く。

じめてバスタ新宿へ。

今回は夜行バスで大阪にかえる。

バスは3列。

ところが左列と中列の間が異常にせまい。

これは途中トイレ無理そう。

トイレを考えて右列の席すればよかった。

そして窓は暑いカーテンで閉じられている。

外の夜バスの景色を見たかったのに。

これではただ寝るしかない。

3列とはいえ、座席はせまい、自分の幅のせいもあるが。

22時20分、新宿駅を出発。

途中府中、八王子と経由。

このまま中央道でいくのかな、と思ったら東名へ。

入ってすぐの中井インターでトイレ休憩。

これで助かった。

無事トイレをすませ、体を伸ばしておく。

0時30分、中井SAを出発。

大阪のOCATには7時8分到着予定。

約6時間半、体を動かせない。

寝ることは寝た。ところが何度も何度も起きる。

そのたびにスマホで場所を確認する。

ルートは途中から伊勢湾道に新名神。。

運転手の休憩で2回とまる。その時もおきてしまった。

朝5時ごろ、京都駅に到着。

ここまで来ると、ほぼ帰ってきた感じ、

続いて東梅田。

そして大阪OCATで降りる。

予定より50分も早く、6時20分ごろにつく。

だいぶ助かった。

6時40分のJRなんば駅発に乗れた。

駅の駐輪場には自転車がまる2日間、おきっぱなしになっていた。

駐輪代は450円。

でも無事にあってよかった。

7時過ぎ、自転車で家まで帰る。

 

東京の感想。

人が多い。とにかく多い。

大阪も多い。けれど東京のほうが多い。

なれていないせいもあるかもしれない。

人でつかれる。

そして東京は赤の他人といる「心地よさ」がある。

東京は働くために人がいる町である。

大阪とはそこが違う。

 

私が東京にいたのは1990年代。

いまから約30年前か。

かつて自分が住んだ高砂や三鷹、そして高砂からよく足を伸ばしていた柴又、三鷹から最寄りの吉祥寺には、今回わざといかなかった。時間の関係もあるけれど。

もう自分はすっかり東京ではよそものである。

よく東京から出る気になったものだ。26年前の自分に思う。

あのまま東京にいて、仕事をしていたら。2025年も当たり前のように、東京にいたのだろうか。

いろんな店を食べ歩きしながら。町をあるきながら。ブログでつぶやきながら。

何度も韓国に旅行して、やっぱり韓国に住んでみたかったと後悔しながら。

なかった人生を考えてもしょうがないけれど。