ひとつ歳上になっただけで | こころのありかた

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娘ちゃん、十五歳のお誕生日を迎えました👏

 

14歳から15歳。

一年上がっただけなのに、なんだか急に「子ども時代」を卒業した響きになるのは何故?

 

十五年前、色々あった不妊治療を経ての高齢出産は、予定日10日過ぎても産まれる気配なく、懸念が無ければ「水中出産」したかった若い頃の夢とは程遠く、二日に亘る陣痛促進剤の使用と、結局帝王切開になったという医療介入のありまくりな出産とはなりました。

でも出血多量にもかかわらず、輸血しなくて済み、母子共に無事であったことに、今から思ってもほんとうに感謝です!

 

しかしながら、手術後に育児の無理がたたったのか、生後二ヶ月で原因不明の肺炎で入院となりました。

 

退院後、布おむつ育児は心配した母や夫に言われて断念したものの、母乳育児をどうしてもしたかったので、退院後も数ヶ月飲まなければならない薬をやめて、少し早めに卒乳はしましたが、桶谷に通っていても、最後まで乳腺炎との闘いでした💧

 

今となれば、食事で緩和出来たことや、搾り過ぎてトラブルを自分で起こしていたと解るのですが😀

 

育児だけではなく、当時の親友と互いの夫婦共に興そうとしていたビジネスのトラブルもあって、ほんとうに心身共に大変過ぎて記憶のないところもある数年でした…

 

卒乳して身体的には落ち着き、数ヶ月した時に311が起きました。

 

阪神の震災の時の揺れに比べたら、ずいぶんマシだと、その影響を深くは考えておらず、フクイチの事も知らないまま、外に赤ちゃんをバギーに乗せて、お散歩に行く程、当時の私は鈍感でした…

 

その一年数ヶ月後に、とりあえずは関西の実家の上に家を借りて、三歳になったばかりの娘と移住することになりました。

 

 

その間、そしてその後は、ほんとうに本が書けるくらいにいろいろあり過ぎたのですが、数年前に育児を通して「発達障害」を知り、夫が「アスペルガー」だと分かった今は、これも必然の流れだったように想います。

 

二年前に父が亡くなり、ひとりになった、これまたアスペルガーの母と、娘ちゃんと三人で、誕生日の前祝いをしました🎶

 

3、4年ぶりに我が家に泊まった母。

父が亡くなってから初めてで、父との想い出を語りながら、見た目は若くても、足が遅くなった母と共に歩き、坂のところは肩を貸す。

 

近く東京を出て離島へ行くらしいパパさんは、娘ちゃんへのおめでとうメールを日付変わってすぐにしてくるのもご一興で、年々彼の存在感は薄れていますが、私たち二人の生活の面倒を長きに亘ってみてくれているのは、ほんとうに有難く、感謝を送りながらも、彼なりの幸せを願うのみです✨