手首が限界です。

マウスをクリックするたびに痛みが走ります。

トイレ介助で利用者を腕だけで支えるなんて

もうできません。

整形外科の再診予約をネットでしようとしました。

今日は祭日です。

休診でした。

 

初診時、整形外科の先生は言いました。

「介護の仕事は酷使しますからね」

(そうなんですよ、先生)

医師が私に言った言葉です。

”だから?”

そう考えているあなたは、聞き流しているのです。

事実私は今日まで聞き流していました。

 

何を?

これって労災なのではないでしょうか?

 

 

業務上の怪我を補償してくれるのが労災です。

体調に疑問を持ち、健康保険証を見せれば

診察してくれるように簡単にはいきません。

補償してもらうのですから、証明しなければならないのです。

だれが?

私がです。

 

よく聞く「労災認定」です。

認定は誰がするのでしょう?

労働基準監督署です。

労働基準監督署は私に問います。

”業務と災害との間に、相当因果関係がありますか?”

 

なんだよ?相当因果関係って?

物の本では書かれています。

”相当因果関係の判断基準として

業務遂行性と

業務起因性が示されているそうです。

 

労働者が労働契約に基づいて

事業主の支配下にある状態を業務遂行性といいます。

指揮命令の許で業務をしているかどうかが問われています。

一方、業務起因性は

業務に内在している危険が現実化した

と経験法則上認められることをいうそうです。

 

ここは大事です。

言い換えてみましょう。

物の本を参照します。

その業務に従事していなければ、

災害が発生しなかったであろうと認められ、

その業務に従事していれば、

そのような災害の発生の可能性が

あるだろうと認められること

だそうです。

 

 

私の手首の痛みを当てはめてみましょう。

「その業務に従事していなければ、

災害が発生しなかった」かどうかを

私は証明できません。

手首の痛みは手首の酷使だからです。

私の業務である介護が原因だと言えるかどうか怪しい。

なぜなら痛みの原因は、

ある特定の介護技術が原因ではないからです。

業務の蓄積が原因だからです。

いわゆる疲労です。

日々の業務の連続が長期にわたって痛みとなった

ということなのでしょう。

介護の業務全般が原因だと言えても

どの介護技術が原因とは特定できません。

 

さらにいえば、介護士全員が痛みを発症するとは言えません。

意地悪い認定官が

(そんな職があるのか?)

言ったとします。

「痛みを訴えているのは、あなただけですよ?」

 

 

私は考えました。

”記録を付していたらどうだろう?”

発症から現在までの経過を記録するのです。

ポイントは初診から再診でしょう。

途中の痛みの経過が根拠となるでしょう。

ですが、この方法には落とし穴があります。

初診の原因が業務上と言えないのです。

 

 

実際の労災の申請は所属している事業者を経由します。

まず上司に報告するでしょう。

施設長が労災の認定をするまで

時間と手間が半端ない。

さらに労働基準監督署の認定があります。

私が労災を申請しない理由です。

手間と時間が勿体ない。

労力を消費した挙句、認定となる確証がない。

泣き寝入りです。

 

 

もう一人の私が私に言います。

”これはおかしい”

なぜか?

労災の趣旨に反するからです。

迅速かつ公正な保護の実現を労災は目指しているのです。

ちっとも迅速ではありませんよね?

 

文句を言っても始まらない。

現実だからです。

 

前例を作りたくない認定側の姿勢は理解できます。

私の手首を認定してしまうとしましょう。

申請は膨大となり、労基の業務は麻痺するでしょう。

例えばタクシーの運転手が腰の痛みを申請することに

なるのでしょうか?

財政の問題があります。

そりゃ、払いたくないですよ。

年金と同じです。

保険料を取るだけとって

給付したくないのです。

さらに事業者の手間が煩雑です。

そうでなくても

うちの施設の事務所はいつも一人で対応している状態です。

 

”ごね得”や

理不尽な要求をしているのではないのです。

本来の労働者の権利すら主張できない。

「介護なんて、やってらんねぇ~よ」

そう思えてしまうのです。