この言葉を聞くのは、私にとって二度目です。

どちらも介護施設の職場で聞きました。

面と向かってです。

衝撃はすさまじい。

 

 

私は久しぶりの遅番です。

出勤すると夜勤明け者が待っていました。

「Kさんのことで

どうしても報告しておきたくて」

 

Kさんは職員です。

障害を持っているであろう彼です。

三週間ほど休職していました。

年明けから復帰したのです。

休職の原因や回復状況など、何一つわかりません。

課長から一つの指示が出ていました。

「軽作業を担ってもらってください」

私は申し送りをします。

「お風呂とトランスが必要になる介助以外を

彼にお願いしてください」

 

 

夜勤明け者はお風呂場の脱衣室に私を誘います。

Kさんに聞かれたくないのでしょう。

「Kさんが職員配置のプレートを自分で変えるのです。

理由を聞いても言わないのです。

私はKさんに伝えます。

”配置は夜勤明けの仕事です。

リーダーが作ったシフトの印に従って

配置を決めています。

(公平にお風呂とリネン交換が割り振られている)

Kさんはパート者になったのですよね?

常勤者でない者が配置を触るのはおかしいです”」

 

私は夜勤明け者に尋ねます。

「彼は何て応えましたか?」

「”職員のTさんが午後集団体操するでしょ?

そのためには、Iさんが早くにお風呂に行けた方が良い”

って言うんです」

「提案は好ましいです。

合意を取って欲しいのです。

彼一人が決めることではないです」

 

 

私は夜勤明け者に帰宅してもらいます。

私は裏を取ります。

早番者が知っているはずだからです。

「Kさんが配置を変えていたって本当ですか?」

「そうなんですよ。

全員の配置が変わっているんです。

夜勤明け者が配置を戻して業務に戻る際

Kさんがボソッと言ったのを聞いたんです」

「なんて言ってました?」

「〇〇さん(私)と一緒に仕事をしたくないって」

 

 

私はもう一人の遅番者と相談をします。

「課長に相談したらどうですか?」

すぐに課長はユニットに駆けつけてきました。

Kさんと課長が話しています。

早番者が呼ばれます。

私は別のユニットのキッチンで昼食の準備をしています。

私の許に課長とKさんがやってきます。

「大変申し訳ないんですが、

〇〇さん(私)と反りが合わないとKさんが訴えてます」

「私に報告が来ています」

課長はKさんに向き直ります。

「相性はあるでしょう。

職場は仕事をするところです。

嫌だから一緒に仕事ができないというのであれば

考えてもらうしかないんです。

パート労働者である以上

常勤者に従うことになります。

嫌なら決断してもらうしかない。

よく考えてください」

 

 

私は今後の姿勢を早番者と遅番者に問います。

「〇〇さんは人が良すぎます。

反省をする人なんていないんです。

介護業界だけではないんです。

世の中すべてがそうなんです。

〇〇さん(私)は何だって、

他者に働きかけているんですか?

自分のためにもならないのに。

損するばかりではないですか?

嫌な思いをして。

矢面に立って。

非難を浴びて。

怪我をすることもあるでしょう?

バカみたいって思いませんか?

私は諦めたのです。

どうせ、みんな自分のことばかりなんです」

 

彼女はこれまで戦ってきたのでした。

ひたすら一人で戦ってきたのでした。

遂に消耗してしまった。

彼女が派遣を選んだ理由です。

彼女が入職してすぐに、

彼女は私に話してくれたのです。

かつての自分に私の姿がダブったのでしょうか?

 

私は彼女の言葉が重く感じるのです。

確かに直接の利益があるわけではない。

自己満足の一つでしかないのでしょう。

自分は何をしているのだ?と思わなくはない。

自分のことを粛々と遂行することは楽なのでしょうか?

多くの先輩たちは、

私と同じように感じ、

考え、

通り過ぎて行ったのでしょうか?

 

閉塞感とは、このように作られていくのでしょうか?