私の居住市や隣の市でのことです。

介護施設が新設となっています。

先日触れました。

日曜の新聞折り込みの求人広告には、

たくさんの介護求人に交じって、新設施設の求人があるのです。

毎回求人を出している事業所があるくらいです。

介護士を取り合っているように私には見えます。

 

 

私は介護士になって今の施設が6か所目の介護事業所となります。

6度の転職をしていることになります。

新設施設ではオープニング・スタッフとしての募集となります。

施設側は介護士集めに力を注いでいるのでしょう。

たいてい説明会が何度か開かれています。

 

私はある新設施設の説明会に参加しました。

法人の歴史や理念、賃金や待遇などの話が施設側からありました。

説明会の最後に施設長からの話がありました。

施設長は川崎市で起こった事件を引用します。

有料老人ホームにて、介護士が利用者を殺害した容疑となっている事件です。

この事件は今現在、係争中です。

御存知の方は多いのではないでしょうか?

 

「今、介護施設は個人の資質が問われるようになりました。

我々の施設では研修が充実しています。

事件を起こした介護士の質が低すぎる。

私たちの施設では、あのようなおぞましい事件は決して起こらないと自負しています。

どうぞ安心して我々とともに働いてください」。

 

私はゾッとしたのを覚えています。

 

 

この施設長の主張は決して根拠がないわけではないのです。

巷には統計があります。

例えば、介護士の職場満足度調査や転職を決めた理由などの統計を指します。

労働問題を専門に扱う士業に、社会保険労務士がいます。

彼らは介護職場の健全化のため事業者に対してアドバイスをしています。

従業員の管理の手段として研修の充実を謳っている資料があるのです。

 

統計には嘘があるといわれます。

統計の対象の偏りが否定できないからです。

ランダムな対象を抽出したから公平とは言えないからです。

私自信を振り返ると統計のウソを言い当てることができます。

公に私は自分を良く見せようとするからです。

本音を言わないことがあるからです。

本音を言えないと言い換えることができるのでしょう。

世の中の都合を、私はこれまで書いてきたつもりでいます。

身に覚えがある方がいるのではないでしょうか?

 

 

3月13日の読売新聞朝刊に記事が載りました。

「介護職員の虐待 最悪」

「16年度 高齢者被害870人」

 

私は研修を否定するつもりはないのです。

研修は教育の一つでしょう。

教育は必要です。

教育したからといって、教育された理念通りの行動となるわけではないのは、

毎日を生活している我々には、痛いほど分かるのではないでしょうか?

 

研修をしたとしても虐待は止まらない。

私はこのように考えています。

だから私は、説明会での施設長が自慢げに話す姿にゾッとしたのでした。

この人は、本質を知ろうとしていないのではないか?

現場に足しげく通う人ではないのではないか?

現場の介護士の意見を汲み取ろう、くみ上げようとは考えないのではないか?

 

 

もう一度私は言います。

虐待は止まらない。

虐待は存在してしまう。

止めるのではなく、存在するものとして認識すべきなのではないでしょうか?

認識することで、対策をとることができるのではないでしょうか?

なぜなら、ないことにしないからです。

起こってしまうのは仕方がないと考えるからです。

 

起こった後の対策は重要です。

もっと大切なことがあるのではないでしょうか?

起こってしまうのが必然と仮定するなら、

起こらないように環境を整える。

制御できない状態をいかに回避するかを考えることが建設的だと私は考えるのです。

 

 

先日私は書きました。

以前私が所属した施設に鳴り物入りで入職してきた五人の男性職員の話です。

最後の一人を引き留めるために私は手を尽くします。

彼は私に言います。

「介護をできるように環境を整えて欲しい。

なんでも現場介護士の責めにされては、怖くて働くことができない」。

彼の言葉に私は黙る他なかったのでした。

 

彼の言葉は、私の思考を広げたのです。

やはり彼は、五人の一人だったのです。