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どうする家康あらすじ44回「徳川幕府誕生」

第44回予告

  第44回「徳川幕府誕生」画像あらすじはここから #どうする家康

どうする家康のあらすじ第43話で、天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」が行われ、徳川家康(松本潤)が大将の東軍が勝利しました。

どうする家康の第44話のあらすじは、敵の城を制圧するところからはじまります。

家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。


時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。

そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。


一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会を伺っていた。

本田

  同じ天文17年(1548年)生まれの本多忠勝(平八郎)(山田裕貴)は盟友・榊原康政(小平太)(杉野遥亮)とは“平平コンビ”として家康を支えた。 万感&涙…山田裕貴、悩んだ忠勝の“最期”直政の台詞死も「既に悲しみを経た後…」

 

 

 

本多忠勝(平八郎)(山田裕貴)さん榊原康政(小平太)(杉野遥亮)さんご苦労さまでした。毎回の放映を楽しませてもらい有難うございました。

 

  第44回『徳川幕府誕生』文言あらすじはここから

どうする家康のあらすじ第43話で、天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」が行われ、徳川家康(松本潤)が大将の東軍が勝利しました。

どうする家康の第44話のあらすじは、敵の城を制圧するところからはじまります。

 

関ヶ原の戦いに勝利した家康(松本潤)は、石田三成(中村七之助)らの佐和山城をはじめとして、敵の拠点を次々と制圧していきます。

慶長5年9月27日に、戦勝報告に家康と秀忠(森崎ウィン)は大阪城に上洛し豊臣秀頼に会いました。家康たちは秀頼に、逆賊・石田三成を討ったことの礼を言われます。

 

茶々
 

大儀であった。

秀頼が当主とはいえ、まだ7歳です。そのため、茶々(北川景子)がずっと寄り添って、その場を仕切ります。

 

茶々
 

これからは、家康殿は新しい父であると心得よ。

茶々は、笑顔でそうふるまいますが、家康たちはその真意を測りかねていました。

 

茶々は、秀吉(ムロツヨシ)の遺言の通りに秀忠の娘・千姫と秀頼の婚礼をすすめます。

 

茶々
 

両家が手を取り合うことが大事でございますから。

その言葉とは裏腹に、茶々の家康を見る視線は冷たいものでした。

 

秀忠
 

ようございましたな、父上。

秀忠は喜んでいましたが、家康は考えていました。

 

徳川家康
 

あれは、はやく人質をよこせと言っておるのじゃ。

徳川と豊臣の間で微妙に保たれている均衡から衝突しないようにするにはどうすればいいものか。

家康は考えていました。

 

本多正信
 

いっそのこと、将軍になってみてはいかがでしょう。

将軍は、すたれていますが、豊臣は公家。徳川は将軍、すみわけがうまくできるかもしれませんな。

家康は、本多正信(松山ケンイチ)の言葉にそれは名案だと考えます。

 

慶長7年6月、家康にまねかれて於大(松嶋菜々子)が上洛しました。伏見城で寧々(和久井映見)に会い楽しい時間をすごしました。

 

於大の方
 

天子さまにまでお目通りでき、夢のようだわ。私は、もう何も思い残すことはない。


於大は、すでに74歳になっていました。

 

徳川家康
 

さようなことを言わず、長生きしてくだされ。

 

 

於大の方
 

もうそなたの大事なものを失うでないぞ。一人にならぬようにな。

於大の目に涙が浮かびます。この3か月後に、於大は亡くなりました。

 

慶長8年(1603)2月に、家康が征夷大将軍になり徳川幕府がスタートします。家康は、念願だった太平の世を作るために、政に若手を起用していきます。

 

若い文官たちをまとめるのは、本多正信の息子・本多正純(井上祐貴)です。義理堅い人物と評判である故に、父親とはうまがあいまんせん。

 

そして、足元を固めるために、秀吉の遺言を守り千姫と秀頼の婚姻に向けて進めていました。千姫は、7つになり行きたくないと家康にお願いします。

 

母の江(マイコ)が茶々のことを怖い。何を考えてるかわからないと千姫に話していたからです。家康は千姫に泣きつかれて言います。

 

徳川家康
 

なにかあれば、このじじがかけつけよう。

そのことで、千姫は安心します。そんな千姫を見て、家康は泣きそうになります。
 

徳川家康
 

歳はとりたくないのう。涙もろくなるし、体は痛くなるし。

家康と同じように老いを感じていたのは、本多忠勝(山田裕貴)や榊原康政(杉野遥亮)も一緒でした。少し若かった井伊直政(板垣李光人)は関ヶ原で追った傷で、前年に亡くなっていました。

 

慶長9年正月、家康は江戸城に行きました。本多忠勝と本多正純(井上祐貴)も一緒です。

 

 

秀忠
 

お待ちしておりました。

 

 

徳川家康
 

秀忠、しかとやっておるか。


 

秀忠
 

はっ。お千は大丈夫でしょうか。


 

徳川家康
 

最初に聞くことが娘の心配か。関が原で遅れた時から何も成長しておらんの。

家康は家臣たちが大勢いる前で、秀忠のことをとがめます。

 

秀忠
 

関ヶ原は、正信も康政もそうして良いと申しておられました。

徳川家康
 

人のせいにするな。それは、すべてお前のせいじゃ。

その後、榊原康政(杉野遥亮)が家康に最後の進言をします。

 

榊原康政
 

家臣たちの面前で、あのように叱るのはよくありません。

秀忠さまを傷つけることになりますぞ。

殿とて、秀忠様と同じころは頼りなかったではないですか。


 

徳川家康
 

わしには、そなたらがおった。父親のいないわしに、みなが厳しくしかってくれた。しかし、秀忠は違う。わし以外、誰も叱ってくれるものがおらん。

 

経験不足の秀忠の成長をゆっくり待っておる時間はないのだ。関ヶ原は、豊臣家のお家騒動。それが、やがて秀頼殿のもとで一つになる。秀頼殿が成長したときに・・・平八郎、小平太、隠居など認めんぞ。

太平の世の中を再び乱世に戻すわけにはいかない。家康は、そのために秀忠に成長を促していたのです。そして、1年後に秀忠に征夷大将軍の座を譲ることを決めました。

慶長10年4月、伏見城にて征夷大将軍を引き継いだ徳川秀忠が2代目将軍になりました。これは、徳川が天下を引き継いでいく宣言でした。

 

大阪城に住む茶々たちは、このことを怒ります。

 

茶々
 

秀頼にも参れと図々しく言ってきたわ。むろん、ことわった。秀頼に行かせるぐらいなら、秀頼を殺して私も死ぬとな。

戦いがもうすぐ近づいていることを感じていたのです。そんな中、榊原康政と本多忠勝がこの世を去りました。

家康にとっては、飛車角がなくなった状況でした。

 

 
 

 

どうする家康第44回はここまで。

 

第45回に続きます。

 

 

 

 


大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) / Twitter

 

 

 

 

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