✨どうする家康第33回「裏切り者」あらすじ画像と文言 | 脳梗塞から奇跡の復活!でSEO研究

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どうする家康あらすじ 33回「裏切り者」

第33回予告

 

  第33回画像あらすじはここから

家康(松本潤)は小牧長久手で秀吉(ムロツヨシ)に大勝。

しかし秀吉は織田信雄(浜野謙太)を抱き込んで和議を迫り、さらに人質を求めてくる。

その上、秀吉が関白に叙せられたという知らせが浜松に届き、家康は名代として数正(松重豊)を大坂城へ送る。

そこで数正は、改めて秀吉の恐ろしさを痛感。

徳川を苦しめる真田昌幸(佐藤浩市)の裏にも秀吉の影を感じた数正は、決死の進言をするが、家康の秀吉に対する憎しみは深く――

 

  第33回文言あらすじはここから

どうする家康のあらすじ第32話で、秀吉(ムロツヨシ)を撃破した家康(松本潤)は、総大将・織田信雄の様子に不安を覚えました。

 

どうする家康の第33話のあらすじは、家康(松本潤)の不安が的中するところからはじまります。

 

家康(松本潤)と石川数正(松重豊)の不安は的中しました。秀吉(ムロツヨシ)は、家康と戦うのではなく標的を総大将・織田信雄にしたのです。

織田信雄の家臣をことごとく調略していき、織田信雄の城が次々と落とされていきます。秀吉は、所領を安堵する約束をして、織田信雄を取り込みました。
 
そして、織田信雄から家康に書状が届きます。


徳川家康
秀吉にひざまずけと仰せじゃ。勝手に和睦して、秀吉に服従せよとは・・・


家康は、怒りで震えていました。家臣たちも同様に怒っていました。徳川は、小牧・長久手の戦いで勝利しています。そのため、家臣たちの士気も高い状況です。


本多忠勝
北条と手を携え、戦を続けるべし。


とはいえ、総大将・織田信雄が和議を結んでしまった以上、戦を継続する大義名分がありません。そこで、徳川の知恵袋・本多正信(松山ケンイチ)が言います。


本多正信
形だけで和議を結んで、ひとまずは相手の出方をうかがいましょう。


そして、家康の名代として石川数正を秀吉の陣に送り込むことを決めました。


徳川家康
みなの者、この和議は敵を欺くかりそめのものじゃ。我らが秀吉に屈することはない。次の戦に備えよ。


一同は、雄たけびをあげました。

そして、和議の条件をもって石川数正が帰ってきました。

石川数正
秀吉は、殿の男児を一人、養子にすることが和議の条件と申しております。


子どもがいないから養子というのは、事実上人質でした。


井伊直政
なにゆえ、そのような取り決めをされてまいったか。殿の子を人質にとるとは無礼千万


井伊直政(板垣李光人)は、烈火のごとく怒りました。それに、本多忠勝(山田裕貴)と榊原康政(杉野遥亮)が追随します。


酒井忠次
やめい。数正を怒るのはお門違いじゃ。


不平等な条件のまま和議を受け入れるか。和議を蹴って戦を続けるか。家康の判断が待たれます。


徳川家康
しばし考える。今日はこれまでじゃ。

 

みなが帰った後、石川数正が家康と酒井忠次だけに金塊を見せます。


石川数正
秀吉から届いたものです。伊勢でも私に調略を仕掛けてきました。

徳川家康
まことに、なんでも欲しがる男よ。

石川数正
金塊は、送り返します。

徳川家康
待て。秀吉の懐に入って、情報を子細なくおくってくれ。

酒井忠次
して、お子はいかがいたしましょう?


かつて、瀬名(有村架純)の侍女をしていたお万に産ませた於義丸を行かせることを決めました。さっそく、於義丸を呼びます。


徳川家康
大きくなったなあ。


これまでほとんど対面のなかった於義丸とお万(松井玲奈)ですが、武家の妻子として覚悟を固めていました。そして、数正の次男・勝千代も小姓として於義丸のお供をすることが決まりました。

天正13年7月。家康がびっくり仰天する情報が入ってきました。なんと、秀吉が関白の地位につくことが決まったのです。関白は、公家の最上位に位置する位です。
 

そのため、秀吉は書状を送ってきていました。


石川数正
殿の挨拶にくるようにと・・・

徳川家康
数正、今回も代りにいってくれ


家康は、石川数正を今回も名代として大阪に送りました。
 

家康が秀吉を倒すためには、関東に大きな勢力を持つ北条家の力を借りる必要がありました。しかし、そのためには難問がありました。


平岩親吉
真田・・・ですな。


旧武田領土を北条を和睦した際に、真田の領土であった沼田を北条領としました。そのため、真田は徳川と手を切り越後の上杉を頼り手を結びました。

もはや、力づくでなんとかするしかない。家康はそう考え、大久保忠世(小手伸也)と鳥居元忠(音尾琢真)に真田討伐を命じます。さっそく真田の上田城を攻めます。
 

しかし、真田昌幸、息子の信之、信繁らによって上田城を2ヶ月経っても落とすことができません。真田は、武田信玄(阿部寛)・勝頼(真栄田郷敦)親子に仕えていました。

そのため、武田の戦術・戦略を最も受け継いでいたのです。仕方なく、徳川は上田城攻めをあきらめ引き揚げます。
 

前方には、秀吉と信雄。後方には真田。家康は、八方塞がりの状態になっていました。


徳川家康
秀吉は、さらに人質を求めておる・・・


この頃、秀吉は破竹の勢いで四国と北国を平定していました。しかも、次々に国替えを行っていました。


徳川家康
秀吉に屈すれば、我らも同じ道を歩くことになる。秀吉の天下は必ず崩れる。それまで、じわじわと調略をすすめる。


家康は、そう作戦を決めます。家臣たちも、家康の意見に賛同します。しかし、石川数正だけは違いました。


石川数正
秀吉のもとに参上なさってはどうでしょう。秀吉の天下はもはや崩れませぬ。


大阪の町と大阪城を見てきた数正は、秀吉の天下が崩れることはないと確信していたのです。それに、本多忠勝や井伊直政らが反発します。


井伊直政
もはや謀反でござる。


対立が鮮明になる中で、酒井忠次らがなんとかとりなします。


徳川家康
わしは、秀吉にはかなわないと申すのか?


石川数正
秀吉は、化け物です。いくら殿でもかなわぬかと。臣下に入られた方がよいと存じます。

今の家康があるのは、数正のおかげ。幼い頃から、間違ったことは厳しく諌めてくれた。しかし、家康は自分の国を守らなければならない。

そのため、家康は誠心誠意を尽くして数正を説得しました。すると、数正の心に変化が起きます。


石川数正
殿を天下人にするということを危うく忘れるところでした。羽柴秀吉がなんたるものぞ。われらの国を守り、われらの殿を天下人にしようぞ。


石川数正の言葉に、家康は男泣きしました。
 

しかし数日後、石川数正は置手紙を残して家族と共に岡崎からいなくなりました。


石川数正
関白天下、これ天下人なり。


手紙と一緒にいびつな仏の彫り物を置いていました。

 

どうする家康第33回はここまで。

 

第34回に続きます。

 

 

 


大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) / Twitter

 

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