鎌倉殿の13人48回最終回【報いの時】ふきだし | 脳梗塞から奇跡の復活!でSEO研究

脳梗塞から奇跡の復活!でSEO研究

脳梗塞リハビリ散歩をしながら、全然儲かっていない『金儲.com』のサイトの運営とSEOで上位表示方法等の研究、とクローバの4葉・5葉・6葉等の自然観察をしながら現在は日記風の記事でぼちぼちやっている脳梗塞のリハビリ中のおじさんです。

鎌倉殿の13人48回最終回 【報いの時】ふきだし

トウのカバー画像の記事は下の方にありますよ(◉👄◉)。

勃発! 承久の乱

承久3年(1221)5月15日、後鳥羽上皇北条義時追討の院宣と官宣旨を下しました。「承久の乱」の始まりです。後鳥羽上皇の標的は、あくまでも北条義時でした。意のままに動かない義時を排除し、幕府を支配下に置いて意のままに操ろうとしていたのでしょう。慈光寺本『承久記』には、院宣は武田信光、小笠原長清、小山朝政、宇都宮頼綱、長沼宗政、足利義氏、北条時房三浦義村の8名に宛てて下されたと記されています。いずれも在京経験が豊富な実力者であり、この中の何名かを取り込むことができたならば、後鳥羽上皇の計画は盤石だったに違いありません。

ところが、御家人たちは義時から離反することなく、逆に後鳥羽上皇へ牙をむきます。5月19日に事態を把握した政子義時大江広元ら幕府首脳陣は、鎌倉に潜入した後鳥羽上皇の使者を速やかに捕らえて院宣・官宣旨を隠匿いんとく。そして、政子の名演説によって御家人たちの魂を揺さぶり、幕府存亡の危機に対し、団結を誓わせることに成功したのです。
北条義時率いる幕府軍と後鳥羽上皇率いる官軍による、存亡を懸けた戦いの幕が切って落とされました。

48回最終回予告はここで見られます。

12月18日放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第48話(最終回)のあらすじです。

前回の47話では、後鳥羽上皇の挙兵と尼将軍・政子の演説が描かれました。

源頼茂の謀反をきっかけに、ますます幕府と朝廷の間に溝ができ、「後鳥羽上皇の北条嫌い」が鮮明になっていきます。

そしてついに、後鳥羽上皇は京都守護を襲い、挙兵しました。

義時と反発しする有力な御家人には、後鳥羽上皇からの院宣が送られました。

三浦義村のもとにやってきた使者を捕まえ、院宣の中身を確認すると、後鳥羽上皇の狙いは「鎌倉幕府、将軍」ではなく、「北条泰時」であることが判明します。

これを知った義時は、泰時にあとを任せ、自分は鎌倉を守るために犠牲になるという覚悟を固めます。

義時が御家人たちを集め、そのことを表明しようとすると、その場に政子が現れました。

政子は義時を下がらせ、演説をはじめます。

「朝廷の仕掛けた戦により鎌倉に危険が迫っていること、

後鳥羽上皇が狙っているのは北条義時の首であること、

義時は鎌倉を守るために命を捨てようとしていること、

義時が厳しい態度をとってきたのは鎌倉を守るためだったこと」など、包み隠さず全てを話します。

 

政子
 

ここで上皇様に従って未来永劫西の言いなりになるか、戦って坂東武者の世をつくるか、今こそ頼朝様のご恩に応えるのです!

政子が鼓舞すると、集まった多くの御家人たちが雄叫びをあげました。

48話(最終回)はその続きから始まります。

 

あらすじ  下矢印 トウが登場するのか?下矢印

トウが登場して『幸せな余生みたいで』良かったです。

鎌倉の命運

後鳥羽上皇は、日本中に北条義時の討伐を命じる院宣を発しました。

鎌倉はこれに対し、徹底抗戦を決めます。

そして、相手方を迎え撃つのではなく、こちらから京へ攻め込む戦略を取ります。

義時は総大将に息子・北条泰時を選びました。

 

政子
 

鎌倉の命運、お前に託した。

鎌倉勢出陣

後鳥羽上皇が京都守護の伊賀光季を討ったわずか1週間後、総大将・北条泰時が鎌倉を出発します。

付き従うのはわずか17名の兵。

時間をかけて準備をするのではなく、朝廷が準備を整える前に決着をつけるというスピード勝負の作戦に出ました。

泰時一行は、東海道を西へと向かいます。

その道中、北条の覚悟に心を動かされた御家人たちが、次々と軍勢に加わります。

泰時が出陣したあと、鎌倉から時房・朝時らが東山道、北陸道に分かれて進軍を始めました。

鎌倉方は途中で次々と味方を増やし、気づけば総勢19万もの大軍勢となっていました。

 

戦いの決着

朝廷側の大将軍は、後鳥羽上皇の近臣の藤原秀康(ふじわらひでやす)が務めます。

朝廷にとって幕府軍の出撃は想定外でした。

秀康は1万の兵を率いて出陣し、京の宇治川で防衛戦を張りました。

鎌倉軍を京に入れまいと必死に戦いますが、兵の数が圧倒的に違います。

次第に鎌倉軍が優勢に。

さらに北条泰時の策も冴えわたり、戦は幕府軍の勝利に終わります。

義時は勝利の報告に安堵します。

しかし、「戦後処理」という次の問題が待っていました。

「本来、臣下であるはずの幕府が、主君である朝廷を裁く」という難しい問題をこなさねばなりません。

 

承久の乱の戦後処理

 

義時
 

私が次の帝を決めるか。この私が…

義時は大江広元と相談し、後鳥羽上皇を隠岐島へ流罪とし、後鳥羽上皇の直系の皇族たちも各地に配流することに決めます。

上皇様を島流しにするという、前代未聞の処罰を実行しました。

そして、後鳥羽上皇の孫・仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)を退位させ、後鳥羽上皇の甥である後堀河天皇(ごほりかわてんのう)を即位させます。

さらに、北条時房と北条泰時を「六波羅探題(ろくはらたんだい)」として京に滞在させ、朝廷の監視にあたらせました。

これらの政策により、京の力は大きく削がれ、実質的に鎌倉幕府が日本を支配する時代が始まります。

 

御成敗式目

「承久の乱」から3年後、義時は、鎌倉に戻っていた北条泰時、北条時房らと積もる話をしていました。

話の途中で突然、義時は倒れました。

幸い、このときは大事に至りませんでした。

義時は妻・のえが勧める薬草をしぶしぶ口にします。

一方、東国の御家人たちには「承久の乱」の恩賞として、西国の所領が与えられていました。

そのことをきっかけに、西国の者たちが不満を募らせているようです。

怪しい動きもあるとの噂がたっています。

泰時は、「東国と西国を問わず誰もが従うべき公平な決まり」が必要だと考えはじめます。

そして、御家人たちが守るべき法を制定し始めました。

この数年後、泰時は「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」という法令を作り上げることになります。

 

昏倒

義時が運慶に作らせた「私に似せた仏像」(※第45話登場)が完成しました。

阿弥陀如来の体に邪鬼の顔がついています。

それを見て怒った義時は、突然、めまいがして倒れ込みました。

しばらくして、義時の容態が落ち着いたころ、三浦義村が訪ねてきます。

少々食えないところもありますが、義時にとって三浦義村は幼なじみであり、盟友でもあります。

義時が自分の死期を悟ったのか、息子・泰時への力添えを頼むと、

 

義村
 

これから先も三浦が支える。

そう言って笑います。

 

北条義時の最期

義時の容態は次第に悪化していきます。

そんななか、政子が見舞いにやってきました。

 

政子
 

あなたは、上皇様を島流しにした大悪人。私は、身内を追いやって尼将軍に上り詰めた希代の悪女。

それでも2人は、源頼朝からこの鎌倉を受け継ぎ、次世代につなぎました。

 

これからは争いのない世がおとずれるでしょう。

 

政子と語るうち、北条義時の最期が近づきます

 

義時は政子をじっと見つめ、息を引き取りました。

 

鎌倉殿の13人第48回『最終話』終わり。ウインク 完了

 

   リンク先はここ

 

  鎌倉殿の13人」最終回に山本千尋は歓喜、金子大地はぼう然

【鎌倉殿の13人】山本千尋、実は悲しい結末だったトウ 三谷幸喜から「希望にしたい」

 

「鎌倉殿」刺客トウ、公式に見たことない笑顔 討ったのは善児と頼朝嫡男一家 仇討ちだけで闇稼業終えた

 

 

最終回を鑑賞することのできるグランドフィナーレイベントが行われた札幌会場からは源頼家役の金子大地、トウ役の山本千尋がそれぞれ中継で参加した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

山本千尋、『鎌倉殿の13人』トウ役は三谷幸喜氏からの「ラブレター」 名シーンの舞台裏を聞く

 

 

「鎌倉殿の13人」最終回 後頭部に13の穴?運慶作 義時似の仏像が完成

 

 

 

以上

鎌倉殿の13人大変面白かったは完結