俳誌 ロマネコンテ 259号から
私が毎月ロマネコンテ誌からの作品鑑賞を (3/4)
歩いても歩いても会えない寒暮
三宅たくみ
会えないが微妙。誰かに会えないのか、寒暮に会えないのか。冬の寒さに会いに行く人はいないだろうから恋人に会えないが正しいと思うが、気になる。
この空しさは、歌謡曲のフレーズにも多くある。夕暮れの淋しさと寒い気持ちがく
み取れる。そんな作品。
街ピアノジャズにスイング聖誕祭
高橋三津子
クリスマスも日本の風俗として定着したようである。だが、クリスチャンはあまり見かけない。日本人のほとんどは仏教か神道である。
街ピアノがクリスマスの夜にジャズやスイングを奏でている。立ち止まって聞いているとも取れるし、作者が弾いているとも取れる。一つの風俗として楽しい。
父にある純情母にある埋火
松隈しのの
「♬男いのちの純情は 燃えてかがやく金の星」である。母の愛情は埋火のように静かに胸に秘められている。
どちらも愛情の表現である。時間がたってから感じることが多い。
世界史のあとがき北風の吹き込めり
山内 宜子
世界史に終わりが無いと思うので、あとがきはない。しかし時間経過の跡は残る。これがあとがき。
この跡は痕かもしれない。その痕へ北風が吹きこむ、びゅうびゅうと沁みてくる。
冬薔薇一輪で足る園日和
足立 和子
暖かい園の雰囲気が伝わってくる。園が薔薇園なのか、幼稚園や老人ホームなどの園なのかはっきりしないが、冬の晴間に見つけた薔薇が周りを暖めてくれる。
宇津田姫ケンタッキーを予約する
おのうえはるみ
宇津田姫は冬をつかさどる神。その宇津田姫がフライドチキンを予約している。楽しく大らかな気分。ケンタッキー行の航空券を予約しているのではないと思う。
姿見にうつる月日や除夜の鐘
蜂谷 純江
除夜の鐘を聞きながらの感慨である。近くにある姿見に写る自分を見ている。しげしげと見ていると…。
ああ、長い時間を過ごしてきたなあ。などと一年どころか、来し方を思い返している。
いちにちが終はる湯たんぽの蓋をして
若林 卓宣
湯たんぽを利用している人は多い。最近の湯湯婆は電子レンジで温めるのもある。
お湯を沸かし、湯湯婆に注ぎ蓋をして袋に入れる。今日一日何事もなかったというほっとした気持ち。
私の孫も毎日湯湯婆にお湯を入れている。
繰り返す大波小波夜の咳
嶋本美千代
「咳き込めば我火の玉のごとくなり 川端茅舎」「咳をしても一人 尾崎放哉」など咳の俳句がある。
大波小波の作者は川端茅舎のように咳に苦しんでいる。