俳句鑑賞 | イナヅマ俳句倶楽部

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俳誌 葦牙(あしかび)4月号(1115号)の中からの俳句鑑賞

 

俳句散策(現代俳句鑑賞)  97

 

 

             十河宣洋

 

 俳句界新年号巻頭三句から

 どの子にも空は胸かすいかのぼり        横澤 放川

 鶏鳴の宙をゆさぶる初明り           本田 摂子

 大杉の高きに動く初明り            山本比呂也

 初湯いま光となりてあふれしむ         井上 論天

 真つ新な海見せ徐行初列車           鴻野眞知子

 新春の気の漲っている作品を選んでみた。これらの作品は年前に作られている。だから元旦の地震や津波の災害は想定されていない。それが無かったら、気持のいい新年であったことが伺える。こういうお正月をずうと迎えられることを願うばかりである。

 

 鉄棒は只の鉄なり大試験             星野 高士

 「俳句界一月号」2024

 一年のまとめの大試験。これで単位が取れるかという大切な試験である。答えを書きながらふっと窓に目をやると校庭の隅に鉄棒が立っている。ときどきその鉄棒で逆上がりなどをやっていた、などと思っている。

 でも鉄棒は只の鉄なんだ。その鉄に何となく思い出と言うか愛着がある。そんな気持ちが湧いてきた。無機質の鉄の棒が、お~い、試験がんばれよなどと声をかけてくる。

 さてもうひと頑張りしようか。と鉄棒に励まされている。

 鉄棒だけでなく、学校には思い出のなにかがある。ほとんどの人が心の隅に焼き付いている思い出が残っている。その校舎が無くなっても、学校のあった所に行くと、思い出すことが必ずある。

 私が教員だった頃、何年かに一度は、学校を訪ねてくる一団がいた。○○年の卒業生です。今日は同期会があってなどと年配の方がわいわいがやがやと来て校内を見ていく。どの顔も嬉しそうである。この一団もこの学校で期末試験などと取り組んだ人たちである。

 そんなことを思わせる作品である。

 

 泥かぶるたびに角組み光る蘆         高野ムツオ

機関紙「現代俳句2月号」2024

 葦の俳句があるとなんとなく目がいく。多分葦牙に籍を置くせいだろうと思う。この句も突然と言ってもいい位突然に目に入ってきた。

 この句は、葦牙そのものである。葦の芽が道端や池などに芽吹いている。葦の生えている周りの水がときどき動いて葦の芽をかかる。かかるというより泥水がかぶさる。その水のなかに静かに芽吹いている葦である。角組み光るが春の息吹を伝えてくれる。

 泥だらけになりながら光る芽は三・一一を生き抜いた生き物の姿に見えてくる。

 

 黒板に冬野と書けばたちまち風       神野 紗希

機関紙「現代俳句2月号」2024

 この感性が私の気持ちを揺さぶる。

 学校で黒板に出合う。日本で生活する人百%が学校へ行くと言っても過言ではない。最近は黒板ではなくホワイトボードなどと言うのも使われているがやはり主流は黒板である。チョークは岩見沢に会社があったが今でもあるだろうか。

 黒板に白いチョークで「冬野」と書く。授業の始まりである。そこから一時間の授業が始まる。たちまち風が立ち上がる。教師の授業の風である。軟らかい風、台風のような強い風。微風もあれば寒風もある。たちまち風は授業を暗示している。

 私は教科は数学だったので、冬野と書くことはほとんど無かった。いきなり因数分解の数字だったり、二次曲線だったり、三角形の図形だったりで微風はほとんど無かったように思う。

 強風を微風のように思いこませて問題を解いたり、説明をしたりの連続である。峠からゆっくり下りてくるのである。気が付くと気怠そうな眼が並んであることが多かった。

 

 青頸を血抜きに吊るす数学者        宮坂 静生

機関紙「現代俳句2月号」2024

 勉強不足の私は青首と青頸を間違えて読んでいた。青首は青首大根。青頸はマガモとある。これなら意味がすっきりする。最近は題材が多岐にわたる作品が多いのでうっかりすると意味の取り違いがある。

 最近は自宅で鳥などを料理することはほとんど無い。だから血抜きの作業を見ることもない。血抜きをする数学者が唐突でびっくりする。なぜ、数学者?などと思ったりする。

 生真面目な融通の利かない数学者を思う。その彼が鴨を料理して吊るしている。彼にもこんな一面があったんだ、などと普段は想像できない学者を見ている。その違和感が楽しい。俳諧である。

 

 白菜巻く藁いっぽんの締めぐあい       稲葉千尋

「櫱通信夏雲句会」2023・12

 野菜を保存する。人間の知恵である。最近は藁など手に入らないから新聞紙を使うことが多い。越冬用の野菜を藁や菰等に巻いて室へ入れたり結構大変だった。

 その作業をしている。藁一本の締め具合が微妙である。年季の入った作業であり、さくしゃは楽しんでいる。周りの者へ自慢しながら仕事である。

 

 完熟をためらうからだ水の秋        瀬戸優理子

「櫱通信夏雲句会」2023・10

 現在絶好調の瀬戸さんの作品。

 感性に裏打ちされた作品。からだが完熟をためらう。理屈ではなく感覚で読む。いろいろ状況が違うが、果物などを見ていると完熟するとだんだん形が崩れていく。その様子を想像する人が多いと思う。私もその一人。

 体形が崩れないように時々自分を戒めている。甘いものを控えるとかそういうことではなく、とに角、運動などと心がけている。そういう人は多い。

 私が定期的に通っている医者は、.診察をしながら普通にしていなさい。食べ物も普通に食べなさい。血糖値が上がったらそれなりの薬があります。まあ年齢から言っても数値はこれくらいでいいです。もう少し中性脂肪が高くなったら薬もあります。などと励ましてくれる。

 私は現在、体のあいた時はストレッチに行っている。私の場合は完熟を過ぎて少し痛みが強くなってきた。現状維持のつもりで通って、かれこれ二年近くなる。最近は体調がいい。血圧も安定してきた。ドクターは血圧が落ち着いているので薬を変えますという。それを聞くとなんとなく体調が良くなってきた気分になる。

 

以上、4月号の私の俳句鑑賞である。

味わって頂けたら嬉しい。