「人は何のために生きるか」 この人生の根本の問題について考えてみるに、それをもし 一言でいう と したら 、結局各自が生まれながらにもって生まれた資質、天分を発揮し それを実現することを通して、世のため人のために尽くすことにあるというほかないと思い ます。
しかし 「資質・天分」 という言葉によって表現されているものには、一歩突っこん で考えたら そこにはいろいろと問題があろう と思われます。
それというのも 私たちに は 自分が ど の よ う な 資質 、天分が あ る のか と い う こ と は 、そ う 簡単 に は分か ら ぬ 問題 で ある と共に 、も う一つは、仮にその人にある種の天分があったと しても 、現在のよ う な時 代には それを十分に発揮する と い う こ と は 、非常に困難ではないか と い う こ とであ っ て 、これらの二つの問題はわれわれが今後、人生の問題を考える上で非常に重大な問題で はないかと思うのです。
そこでわれわれは資質とか天分という言葉を 、現実の社会を構 成しているあらゆる領域において、現在仕事をしている人々の活動の中に認める立場に立 って考えるとしたら 、いかなる人にも 何らかの資質、ないしは天分というべきものが、備わ っ て い る と 考 え ら れ る の で は な い で し ょ う か 。
こ の こ と は 言葉 を か え て い え ば 、「 あなたの好きな仕事、やりたいと思う ところに、実は、あなたの資質 ・ 天分があると考 えて、一応はよいのじゃないでしょうか」 ということです。
わたくしの人生観の根本を申しますと、それは「人生二度なし 」 ということになるわけです 。
つま り この人生とい う ものは 、 二度と繰り返すこ とのできないものである 。
だから われわれは、自分の持って生まれた能力を 、 ぎりぎりのと ころまで発揮した上で棺桶に入 るという く らいの意気込みがな く てはいけないと思うのです。
つまり棺桶の底を突き破る く らいの強い生命力をもって、この世を終わるんだということが、三十五歳ころに分かり かけてきたわけですね。
そしてそこからして、二度とない人生だから 、できるだけ後悔し ないような生き方をしなく ちゃいけないという気持になり出したわけです。
【 人間の一生 】
職業に上下もなければ貴賎もない。
世のため人のために役立つことなら 、何をしよう と自 由である。
しかしどうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると二十からでも三十までに はひと仕事できるものである 。
それから十年本気でやる 。
すると四十までに頭をあげるも のだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。
すると五十までには群をぬく 。
しかし 五十の声をきいた時には、大抵のものが息をぬくが、それがいけない。
「 これからが仕上 げだ」 と、新しい気持でまた十年頑張る。
すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだ ろう 。
だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。
すると 、七十の祝は盛んにやってもらえるだろう 。
しかし 、それからまた、十年頑張る。
する とこのコースが一生で一番おもしろい。