前回「古伝が語る古代史」宇佐公康著“を紹介しましたので、今回は、この本から市杵島姫命について。


第八章 “邪馬台国は安芸国か”

 

宇佐家の伝承によると、天皇(神武天皇)は宇佐の地に四年のあいだ留まった。

 

ウサツヒメノミコトは、天皇が宇佐を出立して、さらに東遷するにあたって、随伴し、筑紫国の岡田宮に一年、安芸国の多祁理宮に六年とどまって、巫女として神祇に奉仕し、この地で神武天皇とのあいだにミコロワケノミコト(御諸別命)が生まれた。


それからまもなく、ウサツヒメノミコトは病気にかかって亡くなり、一年後には天皇もまた病気で亡くなったので、ウサツヒメノミコトを葬ったと同じ伊都岐島の山上の岩屋に葬ったといわれている。


「続 古伝が語る古代史」宇佐公康著

 

第五章 古代菟狭国の自足経済と発展

 

6 三女神の考証

イチキシマヒメのイチキシマは神霊が斎き祀る島、また、祭祀がおこなわれる神聖な島の義で、海島に祀られて、漁労や航海を守護すると同時に、その守護を祈請するというわけである。

 

沖津宮は沖合遠く離れた沖ノ島という海島に、奥津城として、祖霊を斎き祀ってある島であるから、奥津島であり、この島に鎮まる祖霊は奥津島比売であると同時に、伊都伎島または厳島、すなわち、イチキシマであるから、オキツシマヒメとイチキシマヒメとは同神で、前述のタキリヒメあるいはタコリヒメともまた同神である。

 

オキツシマヒメノミコトを別名とする例によれば、「サヨリビメノミコト亦の御名はイチキシマヒメノミコト」としなければならないと言っている。(古事記伝)

 

三女神は、三という聖数によって整理されているわけで、もともと、一体であるとみなければならない。


続きはまた。


市杵島姫命の御心のまにまに