私は、宮地水位先生を知る前から山岡鉄舟先生を尊敬しています。😊


鉄舟先生に憧れ、


“我神也”


と思い続ける瞑想から座禅に変えましたが、私が向かった先は禅宗のお寺ではなく、産土神社でした。


知花敏彦先生は、いつもイエス様やお釈迦様の話をされていました。クリスマスの講話では、会場にイエス様がこられていると話されていた事もありましたが、😳日本の神様の話は全くと言っていい程なさっていませんでした。😔


私は、知花先生の指導されていた瞑想を10年間続けましたが、神道を信仰し、我が国の神様にお導きを願うことしか頭にありませんでした。


友清歓真先生は


キリスト教日本国に入りて僅かに三百六十九年

それ以前の吾等の先祖は総てキリスト教と交渉無し

佛教日本国に入りて僅かに千三百七十六年

それ以前の吾等の先祖は総て佛教と交渉無し

この先祖の信仰に帰る道を指さすもの是れ實に我が天行居なり


とのお言葉を残しておられます。😊


が、😶私は日本人は須く神道を信仰すべき…などとは考えておらず、手箱山山麓で暮らし、地球の為に仏家、ヨギ、クリスチャンの方々とも交流し、協力していきたいと考えてきました。🤗


しかし、私は知花先生を尊敬していた頃、神社に参拝していませんでしたので産土神社が何処にあるのか分からず…😑家から一番近い神社に参拝し


“山岡鉄舟先生のような立派な日本人になりたいのでご指導をお願いします”


と祈念し、


これで大丈夫。😆


とご機嫌で😚家に帰っているとさっき参拝した神社のすぐ裏に大きな神社が…。😶


“どう考えてもこっちが産土神社ぽい…”


と思い、参拝してん。🤪


そういえばさっき参拝した神社畑の中にあって物凄く小さかった気が…。😒


おそらく農家の方がご自分の畑の為に建てたお社だったのだと思います。😑なので


“なんでこいつ来た?”


と思われたことでしょう…。😔話が長くなってしまいましたので続きはまた…。😅


女仙様の御心のまにまに。